アートが服になるのでも、服がアートになるのでもない──A-POC ABLE ISSEY MIYAKE × 松山智一「TYPE-XII」が生んだ新しい表現の構造

Aug 4, 2026
ニューヨークを拠点に活動する現代美術家・松山智一氏と、A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(以下、A-POC ABLE)による協業プロジェクト「TYPE-XII Tomokazu Matsuyama project」から、新たなコートが発表されました。

プロジェクトの起点となったのは、2025年春に麻布台ヒルズ ギャラリーで開催された、松山氏にとって東京初の大規模個展『松山智一展 FIRST LAST』です。同展のために制作された限定アイテムが大きな反響を呼び、今回は松山氏の作品を「一枚の布」へと再構築したコートを新たに発表し、国内外へ展開されることになりました。

© ISSEY MIYAKE INC.
さらに、2026年7月9日から8月31日まで、ISSEY MIYAKE / NEW YORKと併設のギャラリースペース「MADO」では、プロジェクトの特別展示が開催されています。

プロジェクトに関連する絵画作品に加え、松山氏の作品世界を再構築した生地を天井から吊るすインスタレーションも展開されます。平面の絵画、一枚の布、身体を包む衣服、そして展示空間が同じ場所で関係を結び直す構成です。

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しかし、このプロジェクトを「現代美術家の作品を服にプリントしたコラボレーション」と説明するだけでは、その核心を捉えることはできません。松山氏とA-POC ABLEが取り組んだのは、ひとつの表現を別の形式へ単純に置き換えることではなく、絵画と衣服がそれぞれの性質を保ちながら交わり、その関係自体を再構築することでした。



「コラボレーション」ではなく、ものづくりの過程を共有する“協業”

今回のプロジェクトを理解するうえで重要なのが、松山智一氏とA-POC ABLEを率いるデザイナー・宮前義之氏が、一般的な意味での「コラボレーション」と一定の距離を取っていることです。図録に収録された二人の対談で、松山氏は、美術や建築ファッションなど異なる領域のクリエイターが交わることについて、「創造遺伝子のクロスオーバー」という言葉を用いています。

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既存の分野をまたいで影響を与え合い、どちらか一方の表現へ回収されるのではなく、これまで存在しなかったものを生み出す。そのためには、作品やブランドの名前を並べること以上に、互いの思考や制作の過程へ踏み込む必要があります。

一方、宮前氏は、従来使われてきた「コラボレーション」という言葉に違和感があることから、A-POC ABLEではあえて「協業」という言葉を選ぶことがあると語っています。完成したモチーフを受け取り、衣服の表面へ配置するのではなく、ひとつのものづくりに至る過程を共有する。その姿勢が今回の「TYPE-XII」を支えています。この関係性は、「A-POC ABLE ISSEY MIYAKEのデザインプロセスと松山氏の多面的なイメージが一枚の布の中で交差する」という説明にも表れています。

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主役となるのは、片方の表現をもう片方へ移植した成果ではありません。異なる考え方が、ひとつの制作過程の中でどのように反応し、新しい構造へ変化したのか。そのプロセス自体が、この協業の本質です。



多様な文脈が、ひとつの新しい景色をつくる

宮前氏は、松山氏の作品とA-POC ABLEの共通点について、次のように語っています。

松山さんの作品には、多様な文化や時代、価値観が重なり合いながら、一つの新しい景色を生み出していく力があります。 異なる要素を単純に並べるのではなく、それぞれが関係性を持ちながら新たな視点を獲得していくところに、とても共感しました。

松山氏の絵画には、東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象など、複数の文化や時代に属するイメージが共存しています。それらは引用元を示すために並置されるのではなく、ひとつの画面の中で互いの意味を変化させ、新たな世界を形成します。

宮前氏は、その関係性をA-POC ABLEのものづくりへつなげます。

A-POC ABLEも、素材、技術、身体、そして着る人との関係性を常に考えながらものづくりをしています。 「一枚の布」の中にさまざまな可能性を内包させ、着ることで完成していくというイッセイミヤケの考え方は、松山さんの作品が見る人との関係によって豊かに広がっていく姿勢とも通じるものがあると感じました。

A-POCは「A Piece of Cloth=一枚の布」を意味します。コンピュータ制御によって、衣服に必要な要素を一枚の布の中へあらかじめ編み込み、着る人の手や身体との関係によって衣服を成立させていく考え方です。

一方、松山氏の作品もまた、画面の中に固定された意味だけで完結するものではありません。見る人の文化的背景や経験によって、そこから読み取られる関係や物語は変化します。

一枚の布に複数の可能性を内包させるA-POC ABLEと、複数の文化的文脈をひとつの世界へ再構築する松山氏。その共通点は、目に見える意匠よりも、作品と受け手のあいだに意味が立ち上がる仕組みにあります。

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絵画を「プリント」するのではなく、布の構造へ再構築する

今回発表されたコートには、松山作品のイメージが鮮やかに現れています。しかし、ここで行われたのは、絵画の図像を衣服の表面へそのまま転写することではありません。

宮前氏はその理由について、次のように説明します。

服は身体とともに変化する存在です。 一枚の布というメディアを通じて新たな表現へと展開することに取り組みました。 A-POC ABLEのものづくりでは、素材や構造そのものが表現になることがあります。 一枚の布に松山さんの作品を再構築し、着ることで初めて感じられる表情や立体感を大切にしました。

京都の工房で鮮やかにプリントされたベース生地には、特殊な技法による三角形のパターンが重ねられています。身体が入って布が動くことで、表面のテクスチャーや絵画の見え方が立体的に変化する構造です。

ここで絵画は、一枚の固定された画面として再現されるのではありません。折れ、揺れ、重なり、身体の前後へ回り込みます。着る人が立っているとき、歩いているとき、腕を動かしたとき、それぞれ異なる部分が表面へ現れます。

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絵画を忠実に複製することを目的とするならば、動きによって構図が崩れたり、部分的に隠れたりする衣服は不完全なメディアに見えるかもしれません。しかし今回の協業では、その不安定さが新しい表現を生む条件として積極的に受け入れられています。

松山氏は、作品を布へ再構築する際に残したかったものについて、こう答えています。

残したかったのは、絵画の表層的なイメージではなく、異なる文脈を一つの世界として成立させている構造や緊張です。

そして、手放してもよかったものについては、次のように続けます。

一方で、キャンバスの中で固定されていた構図や単一の見え方は、そのまま保持するのではなく、それらを手放すことで、布の構造や身体の動きに応じて、作品が別の関係として立ち上がる余地が生まれました。

重要なのは、元の絵画をどれほど正確に再現できたかではありません。松山作品を成立させている文化的な重なりや、異なるイメージ同士の緊張を保ちながら、キャンバスに固定されていた構図を解放すること。そうすることで初めて、一枚の布と身体との関係から、新たな作品が立ち上がります。



絵画が身体を得るとき、「意味が生まれる条件」が変わる

平面作品が衣服となり、人の身体を包むとき、その作品の意味は変化するのでしょうか。この問いに対する松山氏の答えは、今回のプロジェクトを読み解くための重要な言葉です。

意味そのものが別のものに変わるというより、意味が生まれる条件が変わるのだと思います。

絵画がキャンバスに定着している間、鑑賞者はその前に立ち、ひとつの画面として作品と向き合います。視線を動かし、全体と細部を往復しながら、自分なりの時間をかけて作品を読み取ることができます。

しかし、衣服となった作品は静止していません。

絵画が身体を得ることで、作品は固定された画面から離れ、着る人の動きや感覚、周囲の空間との関係の中で、異なる表情を持ち始めます。作品の意味が限定されるのではなく、身体を介して新たな解釈へ開かれていく感覚です。

身体は、作品を展示するための台ではありません。着る人の姿勢や歩き方、体格、選ぶ色、組み合わせる服、そしてその人がいる環境までが、作品の見え方に関わります。一枚のコートは、同じ形や図像を持っていても、誰がどこで着るかによって異なる関係を生み出します。

A-POC ABLEの「着ることで完成していく」という思想と、松山氏が語る「身体を介して新たな解釈へ開かれていく」という考え方は、ここで重なります。

完成とは、デザイナーやアーティストが最後の手を加えた瞬間だけを意味するのではありません。衣服が身体と出会い、社会の中へ移動していくことで、その表現は何度でも更新されていきます。

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美術館で作品と向き合うこと、街で作品と偶然出会うこと

今回のプロジェクトには、作品と鑑賞者の距離を変える側面もあります。松山氏は、美術館で鑑賞される作品と、街を歩く人が着る作品の違いについて、「作品が鑑賞者に届く時間と距離」にあると語ります。

美術館では、鑑賞者が作品の前に立ち、時間をかけて向き合うことができます。

美術館やギャラリーでは、作品を見るという目的を持った人が、そのために設計された空間を訪れます。作品と鑑賞者の関係には、一定の集中や静けさが用意されています。
衣服の場合、その関係は大きく異なります。

一方、衣服は身体とともに移動し、日常や公共空間の中で、作品を見ることを目的としていない人とも偶然出会います。どちらが優れているということではなく、作品が社会と関係を結ぶ方法が異なるのだと考えています。

衣服となった作品は、鑑賞されるための場所を離れます。通勤する人の前を横切り、レストランの椅子に掛けられ、駅のホームに立ち、街の光や天候の中で異なる表情を見せます。そこでは、作品だと認識されないまま誰かの視界に入ることもあるでしょう。その偶然性は、美術館の代替ではありません。作品が社会と関係を結ぶ、もうひとつの方法です。

松山氏は図録中の対談でも、アートが美術館に展示されるものだけではなく、本来は生活の中で身近に存在すべきものだという考えに触れています。同時に、ファッションが作品を記号化し、消費可能なイメージへ変えてしまう危険についても慎重な姿勢を示していました。

だからこそ今回、絵画の表層を商品へ転用するのではなく、その構造や制作思想を衣服のあり方へ落とし込むことに意味があります。作品を日常へ開くことと、作品を消費しやすい記号へ変えること。その間にある緊張を引き受けながら、新しい関係を探る試みでもあるのです。

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「一枚の布」は、迷ったときに立ち返る場所

図録の対談において、宮前氏はA-POC ABLEが異分野のアーティストや研究者と協業する際、「一枚の布」という哲学が、迷いが生まれたときに立ち返る場所になると語っています。A-POC ABLEのプロジェクトは、工学やテクノロジークラフト、建築など、服飾の外側にある専門領域との研究開発を重ねてきました。異なる技術や思想を受け入れることは、新しい可能性を開く一方で、ブランドが何を目指しているのかを見失う危険も伴います。

そこで基準となるのが「一枚の布」です。

完成形を先に決め、その形へ技術を当てはめるのではなく、一枚の布に何を内包できるのか、身体が入ることでどのような変化が生まれるのかを考える。その根本へ戻ることで、異なる領域との協業をA-POC ABLEのものづくりとして成立させていきます。

今回、松山氏の作品は、A-POC ABLEが設計したコートの上へ後から載せられたのではありません。パターン、素材、プリント、表面のテクスチャー、身体が入ったときの動き。そのすべてが、松山の作品をどのように再構築するかという問いと並行して検討されました。

宮前氏は、アーティストとの協業によって見えた可能性について、次のように語っています。

松山さんとの対話では、作品の背景にある思想や感覚をどのように服へ置き換えるかを何度も考えました。

そして、その経験が技術的な成果だけにとどまらないことを強調します。

アーティストとの協業は、技術の可能性を広げるだけでなく、服そのものの意味や役割を見つめ直す機会にもなります。 異なる領域だからこそ、お互いの考え方が刺激し合い、新しいものづくりにつながる可能性を感じています。

この言葉から見えてくるのは、A-POC ABLEがアートを衣服の価値を高める装飾として求めたのではないということです。松山氏との対話を通して、服は何を媒介できるのか、身体と社会の間でどのような役割を持ち得るのかを、改めて問い直しています。

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ニューヨークで空間へと広がる「TYPE-XII」

ISSEY MIYAKE / NEW YORKと「MADO」で開催される特別展示では、こうしたプロジェクトの思想が、衣服だけでなく空間全体へ展開されます。会場には、A-POC ABLEの技術によって再構築された松山氏の生地が、天井からダイナミックに吊り下げられます。その下には、コートとして身体の形を得た立体が配置され、関連する絵画作品や騎馬像とともに展示されます。

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一枚の布が天井から広がるとき、それはまだ衣服ではありません。コートとして仕立てられ、身体を包むとき、平面だったイメージは立体的な輪郭を持ちます。さらに、松山氏の騎馬像や絵画と同じ空間に置かれることで、衣服は元の作品との新たな関係を獲得します。

MATSUYAMA STUDIO

この展示では、絵画から布、布から衣服という一方向の変換が示されているわけではありません。絵画、布、身体、彫刻、空間が互いを参照し合い、表現の意味を更新していく。その循環を体験する場として構成されています。

ニューヨーク限定では、松山氏の全7作品をA-POCの無縫製ニットにプリントしたTシャツも展開されます。

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また、今回発表されたコートは国内ではA-POC ABLE ISSEY MIYAKE / KYOTO、ISSEY MIYAKE GINZA / 442、ISSEY MIYAKE MARUNOUCHIで展開。海外ではパリロンドン、ニューヨーク、ミラノへと広がります。



アートが服になったのでも、服がアートになったのでもない

今回のプロジェクトについて、「アートが服になった」のか、「服がアートになった」のかという問いを二人に投げかけました。

松山氏の答えは明確でした。

私にとっては、どちらでもありません。

そして、こう続けます。

「アートが服になった」「服がアートになった」と捉えると、どちらかがもう一方へ置き換えられたことになります。今回のプロジェクトでは、絵画と衣服がそれぞれの言語を保ったまま交わり、その関係自体が再構築されました。どちらかに従属するのではなく、両者の間に新しい表現の構造が生まれたのだと考えています。

宮前氏もまた、同じ問いに対して、「そのどちらかではない」と答えています。

アートを服へ変換したのでも、服をアートにしたのでもなく、アートと服がお互いの領域を尊重しながら、新しい表現を共に探求し作り上げたプロジェクトだと考えています。

アートと服が同じものになったわけではありません。それぞれの違いを消したのでも、境界を無理に撤廃したのでもない。異なるまま向き合うことで、その間にこれまで存在しなかった関係をつくることが、今回の協業で試みられました。

宮前氏はさらに、衣服とアートそれぞれの性質について触れます。

服には着るという行為があり、身体とともに変化していきます。 一方でアートは、人との出会いによって解釈が広がっていくものです。

その二つが交わることで生まれたものについて、宮前氏は次のように結びます。

このプロジェクトでは、その二つの性質が交わることで、完成形ではなく、着る人によって育まれていく作品が生まれたのではないでしょうか。 私たちが目指したのは、「アートか服か」という境界を越えることではなく、その境界を行き来しながら、新しい体験を生み出すことだったと考えています。

この言葉は、「TYPE-XII Tomokazu Matsuyama project」がどこに位置するのかを端的に示しています。それは、アートとファッションの境界を曖昧にした商品ではありません。絵画が絵画として持つ構造を保ち、衣服が衣服として持つ身体性や機能を保ちながら、その境界を何度も往復することによって生まれた表現です。

左から、松山智一氏と宮前義之氏 | MATSUYAMA STUDIO


着る人によって、作品はこれからも変化していく

今回のコートは、商品として完成し、販売されます。しかし二人の言葉を踏まえるなら、その完成はひとつの区切りにすぎません。着る人が袖を通し、身体とともに動き、街へ出る。布の表面は光を受け、折り重なり、元の絵画にはなかった部分が現れます。その姿を偶然目にする人によって、さらに新しい解釈が生まれるかもしれません。

松山氏は、このプロジェクトによって作品の意味そのものが変わるのではなく、「意味が生まれる条件が変わる」と語りました。宮前氏は、一枚の布に内包された可能性が「着ることで完成していく」と考えています。二人の思想が重なる地点にあるのは、完成された意味を届けることではありません。受け手が関わるための余白を、作品の中に残すことです。

「TYPE-XII Tomokazu Matsuyama project」は、現代美術を衣服へ転用した取り組みでも、ファッションを美術作品として権威づける試みでもありません。絵画と衣服がそれぞれの言語を保ったまま出会い、身体と社会を介して、これからも関係を変化させ続けるための新しい表現の構造です。

アートか服かという答えを出すのではなく、その間を行き来する経験をつくること。

松山智一氏とA-POC ABLE ISSEY MIYAKEの協業は、ものづくりにおける境界とは、消すべき線ではなく、新しい関係を生み出すための場所になり得ることを示しています。



INFORMATION
TYPE-XII Tomokazu Matsuyama project 特別展示
会期:2026年7月9日(木)〜8月31日(月)
営業時間:月〜土曜日 11:00〜19:00/日曜日 12:00〜18:00
会場:ISSEY MIYAKE / NEW YORK
45 Madison Avenue, New York, NY 10010



The Editorial Team
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