ニューヨークが変えた猪熊弦一郎──20年の創作と交流をたどる展覧会、ジャパン・ソサエティーで開催

Event Date:2026.10.06-2027.01.10
Sep 3, 2026
三越の包装紙「華ひらく」を手がけたことでも知られる画家、猪熊弦一郎。日の近代美術を代表する画家の一人でありながら、その創作人生を振り返ると、ひとつの大きな転換点として浮かび上がる都市があります。ニューヨークです。

2026年10月6日から2027年1月10日まで、ニューヨークのジャパン・ソサエティー・ギャラリー(Japan Society Gallery)で、展覧会「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」が開催されます。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)との共同企画による本展が光を当てるのは、1955年から1975年まで、猪熊が約20年にわたりニューヨークを拠点に活動した時代です。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA) | Photo by Yoshiro Masuda
そこで猪熊が出会ったのは、新しい美術だけではありませんでした。イサム・ノグチ、マーク・ロスコ、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジョン・ケージ、チャールズ&レイ・イームズら、20世紀のアートデザインを形づくった人々。そして、急速に変貌していくニューヨークという都市そのもの。

作品だけでなく、写真や映像、手紙、デザイン、私物などを通して浮かび上がるのは、一人の日本人画家がニューヨークで過ごした20年と、その周囲に広がっていた創造のネットワークです。



1955年、ニューヨークへ

猪熊弦一郎がニューヨークへ渡ったのは1955年。もともとはパリを目指して日本を離れましたが、アメリカを横断するの途中で立ち寄ったニューヨークに強く惹かれ、そのままこの街に拠点を置くことになります。

本展には、その旅の軌跡を猪熊自身が書き込んだ地図も出品されます。サンフランシスコ到着後、ニューヨークへ向かったルートを記した1955年の地図です。さらに、1957年から1968年まで暮らした115 East 95th Streetの住居を記録したアルバムや、その後のスタジオの写真なども残されています。

Gen’ichirō Inokuma, Haniwa II, 1956. Oil on canvas. Collection of the Japan Society Gallery. | Photo by Go Sugimoto
ニューヨークへ渡った翌年の1956年には、ウィラード・ギャラリー(Willard Gallery)で初の個展を開催。本展では、その展覧会の招待状や来場記録、ジャパン・ソサエティー会員への案内、さらに当時の『The New York Times』の記事なども紹介されます。

以降、猪熊は同ギャラリーで個展を重ねていきます。1960年の《White Hole》、1962年の《Teenagers》、1964年の《Snake Line》《Black Circle》、1970年の《Water Shores A》、1972年の《Landscape》など、ニューヨークで制作・発表された作品とともに、その展示風景を記録した写真も残されています。

日本ですでに画家として評価を確立していた猪熊が、なぜ海を渡り、ニューヨークで20年を過ごしたのか。その答えを、完成した作品だけでなく、彼が暮らした場所や見たものまで含めてたどることが、本展の大きな軸となっています。



猪熊が見ていた、ニューヨーク

猪熊はニューヨークで絵を描くだけでなく、カメラを手に街を歩き、多くの風景を記録しました。

エンパイア・ステート・ビル、シーグラム・ビル、レバー・ハウス。1958年には建設中のグッゲンハイム美術館や旧ペン・ステーションを撮影し、1961年には現在のJFK国際空港に完成したTWAターミナルにもカメラを向けています。さらに、名建築だけではなく、ニューヨークの街角にある壁や都市の表情も被写体になりました。残された8mmフィルムには、コニーアイランド、雪に覆われた街、ジョージ・ワシントン・ブリッジなども映されています。

Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1967. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.  | Photo by Go Sugimoto
巨大な建築物、窓から見える摩天楼、道路、壁、人々の日常。猪熊が見つめたニューヨークの断片と、その時代に描かれた作品を同じ空間で見ることで、都市から受けた刺激が、彼の色や線、構成へどのようにつながっていったのかを想像することができます。ニューヨークを描いた画家、というよりも、ニューヨークを見ることによって自らの表現を更新し続けた画家。その視線を追体験できることも、本展の魅力です。



アーティストが集まった「Fumi Restaurant」

そして、本展のタイトルにある「NYC Salon」を象徴するのが、猪熊と妻・文子を中心に生まれた人々の交流です。夫妻のニューヨークの住まいには、国籍やジャンルを越えて多くのアーティストクリエイターが集まりました。その食卓は、いつしか「Fumi Restaurant」と呼ばれるようになります。

文子が1956年に使用していた手帳には、ジャスパー・ジョーンズ、サイ・トゥオンブリー、ロバート・ラウシェンバーグの住所が記され、「Fumi Restaurant」のゲストブックにはイサム・ノグチやジャスパー・ジョーンズの署名も残されています。1959年に撮影された夕食の写真には、猪熊夫妻とともに勅使河原蒼風、勅使河原宏、ミシェル・タピエ、棟方志功らの姿があります。

Gen’ichirō Inokuma, Cross, 1979. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.  | Photo by Go Sugimoto
さらに写真をたどっていくと、そのネットワークは驚くほど広がっていきます。マース・カニングハムが猪熊夫妻のアパートで開かれた集まりを訪れ、猪熊はジョン・ケージやジョージ・ナカシマ、イサム・ノグチらにもカメラを向けています。1964年には、マーク・ロスコがウィラード・ギャラリーで開催された猪熊の個展を訪れました。その瞬間を記録した写真も本展に出品されます。

ここに見えるのは、著名人の華やかな交友録だけではありません。異なる国からニューヨークへ集まった人々が、食事をし、話し、互いの作品を見て、影響を与え合う。猪熊夫妻の生活そのものが、小さな文化的な交差点となっていたのです。



ジャスパー・ジョーンズ、ラウシェンバーグ、そして文子

その交流の親密さを象徴する一枚があります。1959年1月12日、ロバート・ラウシェンバーグのスタジオで撮影された写真です。そこには、制作途中の《Wager》を前にした文子とジャスパー・ジョーンズの姿が残されています。そして別の写真では、文子がラウシェンバーグによる20世紀美術の重要作の一つ、Monogram(1955–1959)の制作を手伝っています。猪熊を取り巻いていた世界を理解するとき、妻・文子の存在も切り離すことはできません。

Gen’ichirō Inokuma, Green Highway, 1967.The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.  | Photo by Go Sugimoto
アレクサンダー・カルダーが1970年に描いた文子のポートレート、レイ・イームズから猪熊夫妻に送られた手紙、そして猪熊が撮影した友人たちとの日常。「猪熊弦一郎のニューヨーク」は、画家一人だけによって形成されたものではなく、文子とともにつくられた生活と交流の場でもあったことが見えてきます。



絵画だけではない、猪熊弦一郎

日本では画家として知られる猪熊ですが、その仕事はキャンバスの中だけに収まりません。日本では1950年に三越の包装紙「華ひらく」をデザイン。現在まで続くこの包装紙は、猪熊の仕事を日常生活のなかで目にすることのできる代表的なデザインの一つです。ニューヨークでも、彼はアートとデザインの境界を越えて活動しました。

Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1968. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.  | Photo by Go Sugimoto
本展には、1959年に在ニューヨーク日本国総領事館のために手がけた茶道を紹介する冊子、1960年の日米修好通商条約100周年を記念したパンフレットと封筒、ニューヨークのBonniersで販売された漆塗りの竹籠とその冊子などが出品されます。さらに、ジャパン・ソサエティーのロゴのデザイン案も残されています。

絵画グラフィックプロダクト、空間。そして、人と人をつなぐ場。

猪熊の活動を横断していくと、彼にとって創造とは「画家」という肩書きだけでは捉えきれない、生活そのものへ広がっていく行為だったことが見えてきます。



ニューヨークで、猪熊弦一郎を見るということ

1975年、猪熊は約20年間暮らしたニューヨークを離れます。しかし、この街で経験した時間は、その後の制作にもつながっていきました。今回、そのニューヨーク時代に光を当てる展覧会が、東京でも丸亀でもなく、彼が実際に暮らしたニューヨークで開かれることには特別な意味があります。

Gen’ichirō Inokuma, Untitled, ca. 1966. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose. | Photo by Go Sugimoto
1956年にウィラード・ギャラリーで最初の個展を開いた画家。街を歩き、建築を撮影し、自宅にアーティストを招き、海を越えて人と文化をつないだ日本人。そして、ニューヨークという都市の変化を見つめながら、自らの表現も変化させていった猪熊弦一郎。

それから70年。作品だけを振り返るのではなく、彼が見た風景、暮らした部屋、交わした言葉、出会った人々までをたどることで、一人の画家の20年と、1950年代から70年代のニューヨークに存在した創造のネットワークが立ち上がります。

「Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon」は、猪熊弦一郎という日本人画家を、ニューヨークという都市のなかでもう一度発見する展覧会となりそうです。



【INFORMATION】
Gen’ichirō Inokuma’s NYC Salon

会期:
2026年10月6日(火)〜2027年1月10日(日)

ギャラリー開館時間:
火曜~金曜:午前11時〜午後5時
土曜・日曜:正午〜午後6時
第1金曜の対象日*は、午後5時~7時入場無料
(*対象日:2026年10月9日、11月6日、12月4日、2027年1月8日)
※主な祝日は休館

会場:
Japan Society Gallery(ニューヨーク)
333 East 47th Street

料金:
一般:20ドル
学生・高齢者:15ドル
※会員、障がいのある方と付き添いの介助者 1 名は、常時入場無料
※会員以外のすべてのチケット購入には、1 ドルの追加サービス手数料がかかります

共同企画:
Japan Society、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)




The Editorial Team
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
  • Gen’ichirō Inokuma, Haniwa II, 1956. Oil on canvas. Collection of the Japan Society Gallery.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1957. Gouache on cardboard. Collection of the Japan Society Gallery.
  • Gen’ichirō Inokuma, Kabuki Actor's Face (Kabuki Kagamijishi), ca. 1958-1959. Watercolor on beige paper. Collection of the Japan Society Gallery.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, ca. 1958–1959. Ink and color on paper. Collection of the Japan Society Gallery
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled (“Sound”), 1959. Watercolor on paper. Collection of the Japan Society Gallery.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1968. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1968. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1958. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, ca. 1958. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Early Spring No. 2, 1958. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1960. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1967. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Green Highway, 1967.The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • GeniIchirō Inokumam, Peaks, 1962. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Composition, n.d. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Monochrome 2, 1963. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, ca. 1962–1963. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Landscape, 1971. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Subterranean, 1970. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, 1971. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Cross, 1979. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Landscape Composition, 1972. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, ca. 1966. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
  • Gen’ichirō Inokuma, Untitled, n.d. The Hirose Family Collection, in memory of Dr. Teruo Hirose and Shigeko Masuda Hirose.
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