12月6日は久石譲の誕生日です

2014.12.06

作曲家の久石譲は1950年12月6日生まれ。長野県中野市出身。名は藤澤守。久石譲と名乗るようになったのは大学時代からで、当時活躍していたクインシー・ジョーンズの名前を漢字に当てはめたのが、その由来となっている。

4歳の頃からヴァイオリンを始め、幼稚園の頃には父に連れられて、毎年何百本もの映画を観ていた。69年に国立音楽大学の作曲科に進学すると、ミニマルミュージックに関心を持つようになり、現代音楽家としての活動をスタート。在学中からコンサートなどに楽曲を提供しており、卒業後はヒットナンバーの編曲を主に担当。多彩な音楽を吹奏楽にアレンジしたCDシリーズ『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』を手掛けた他、日本フィルハーモニー交響楽団の依頼を受けて、数々の映画音楽をオーケストラ用にリライトしている。

81年にミニマルミュージックを基調としたデビューアルバム『MKWAJU』を発表。翌年には初のソロアルバム『INFORMATION』を発売し、この作品で久石は作詞からボーカルまでを手掛け、日本におけるミニマルミュージックの先駆者となる。しかし、彼の名が一躍有名となるきっかけになったのは、やはり84年公開の劇場アニメ「風の谷のナウシカ」だろう。映画の興行成績自体は平凡だったものの、その後のVHSやDVDの売り上げが好調で、サウンドトラック『風の谷のナウシカ~はるかな地へ~』もオリコンアルバムチャートで8位を記録した。

その後、久石は宮崎駿作品など、数々の映画音楽を手掛けるようになり、91年発表の日本アカデミー賞では優秀音楽賞を受賞。翌年には「あの夏、いちばん静かな海」や「仔鹿物語」などに提供した楽曲が評価されて、日本アカデミー最優秀音楽賞を受賞している。01年には「Quartet カルテット」で監督デビューを果たし、モントリオール映画祭の招待作品に選ばれるなど、日本初の本格的な音楽映画として高い評価を受けた。

その一方で、04年には「新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ」を結成し、音楽監督に就任している。このプロジェクトは世界中から魅力的な楽曲を再発見することを目的としており、コンサートでは映画音楽からクラシックまで様々な名曲が演奏された。08年に開催された「久石譲in武道館~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~」では、管弦楽器、吹奏楽、合唱団、マーチングバンドからなる総勢1,200名の大規模編成を指揮するとともに、自らもピアノ奏者としてコンサートに参加。翌年にはクラシック指揮者としてもデビューし、現代音楽家の視点からとらえたクラシック音楽を、より幅広い層へと送り届けている。

これらの活動が評価されて、09年には紫綬褒章を受章。10年には国立音楽大学の招聘教授となり、後進の指導にも積極的に取り組んでいる。
HEW
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