KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭は、2026年で14回目の開催を迎え、2026年4月18日(土)から5月17日(日)までの30日間にわたり、京都の歴史的建築・文化施設を舞台に展開されます。今年は、日本、南アフリカ、ウルグアイ、フランス、パレスチナなど 8か国・13組のアーティスト が参加。写真展に加え、トーク、ワークショップ、キッズプログラムなど多彩なイベントが京都市内各所で行われ、街全体が“写真とアートの都”へと変貌します。

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026のテーマは「EDGE(エッジ)」です。その言葉どおり、今年の京都には、物理的な崖っぷちから、社会の周縁、心のギリギリの領域まで──さまざまな“際(きわ)”が立ち上がることになります。
京都市京セラ美術館/Photo by Takeshi Asano
いま私たちは、新たなテクノロジーの到来と、画像が氾濫する時代のただなかにいます。その中で写真は、先が見えない不安と、まだ見ぬ何かを発見する高揚感が共存する「臨界点=エッジ」に立たされています。「エッジ」の向こう側に何があるのかは、誰にもわかりません。混沌とともに崩壊へ向かうのか、それとも別の世界へと誘う入口になるのか──。
KYOTOGRAPHIE 2026は、こうした「あわい」を、緊張と変化が同時に生まれる場所として描き出します。ラディカルな写真表現の隣には、都市の衰退を静かに捉えた作品があり、周縁へ追いやられたコミュニティの記録は、植民地主義や領土問題といった現在進行形のテーマと交錯します。さらに、自然の持つ超越的な力にレンズを向け、「ギリギリの際」に到達することで、視点・思考・創造の新たな地平がそっと開けていく──たとえ環境的にも、政治的にも、個人的にも、最も暗い現実の中にあったとしても。
誉田屋源兵衛 竹院の間/© Naoyuki Ogino
「エッジ」とは、不確実性に満ちた場所であり、同時に可能性が生まれる場所でもある。ひとつの終わりが、次の始まりへと静かに接続される。その瞬間を、京都という都市の中で可視化していくのが、今回のKYOTOGRAPHIEです。
森山大道
会場:京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階
キュレーション:チアゴ・ノゲイラ(モレイラ・サレス研究所)
Presented by Sigma
およそ60年にわたり、写真という表現の慣習を揺さぶり続けてきた森山大道氏。今回の展示では、作品そのものに加え、森山氏を森山氏たらしめてきた雑誌や写真集といったメディウムにも焦点を当て、ラディカルかつ精力的な軌跡を全方位からたどっていきます。戦後の高度成長期、日本社会が急速に変化していく只中で育った森山氏は、身のまわりの世界を精力的に記録しながら、カメラや印刷メディアが担う役割、そして私たちがどのようにイメージを流通させ、消費しているのかを執拗に問い続けてきました。アンディ・ウォーホル、ウィリアム・クライン、ジャック・ケルアックらからの影響をも取り込みながら、「現実の表象」「真実と虚構」「記憶と歴史」といったテーマを、写真を通じて考え抜いてきた存在です。
From Letter to St-Loup, 1990./© Daido Moriyama/Daido Moriyama Photo Foundation.
KYOTOGRAPHIE 2026では、ブラジルのモレイラ・サレス研究所(IMS)のキュレーター、チアゴ・ノゲイラによる回顧展を京都ならではの構成で展開します。伝説的な雑誌『プロヴォーク』への寄稿や、写真に根本的な問いを投げかけた写真集『写真よさようなら』(1972)をはじめ、フォトエッセイや出版物の数々を通して、森山氏の「エッジ」に立ち続けるまなざしが浮かび上がります。
リンダー・スターリング
会場:京都文化博物館 別館
Presented by CHANEL Nexus Hall
リンダー・スターリング氏は、1970年代後半のイギリス・パンクシーンから登場した、同国を代表する現代アーティストのひとりです。写真やフォトモンタージュを大胆に用い、欲望や女性の身体をめぐるステレオタイプに挑み、再構築してきた作品で高く評価されてきました。ハンナ・ヘッヒやマン・レイらダダイズム/シュルレアリスムの精神を継承しながらも、リンダー氏独自の視覚言語は、現代社会におけるフェミニズムの先駆的な表現として位置づけられています。
Oedipus, 2021/© Linder, Courtesy of the artist and Modern Art, London
アーティスト本人との綿密な協働のもと構成された今回の回顧展では、彼女の革新的な創作の軌跡をたどりながら、主要作品を京都でまとめて紹介します。ロンドンのヘイワード・ギャラリーでの回顧展に続く日本初の個展は、「女性像」というもっとも政治的な“エッジ”に長年向き合ってきたリンダー氏の仕事を、京都から世界へと発信する機会となります。
タンディウェ・ムリウ
・〈CAMO〉シリーズ
会場:誉⽥屋源兵衛 ⽵院の間 / Presented by LONGCHAMP
・KYOTOGRAPHIE African Residency Program
会場:出町桝形商店街、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space
ケニア出身の写真家、タンディウェ・ムリウ氏にとって、写真は自らの文化的ルーツを讃える方法であり、同時にアイデンティティを形づくる文化的要因に問いを投げかけるための手段でもあります。代表作〈CAMO〉シリーズでは、被写体は背景と同じテキスタイルに包まれ、姿を溶け込ませながらも、同時に「自己を写し返すキャンバス」として立ち上がります。日常生活にある日用品や、アーカイブ写真から着想を得た髪型がモチーフとして織り込まれ、そこに添えられたアフリカのことわざが、世代を超えて受け継がれてきた口承の知恵を静かに息づかせています。
An Abundance of Plenty, 2024/© Thandiwe Muriu, Courtesy 193 Gallery
KYOTOGRAPHIE のアフリカン・アーティスト・イン・レジデンス招聘アーティストとして京都に滞在したムリウ氏は、〈CAMO〉に加え、レジデンス期間中に制作した新作も発表します。布やテキスタイルの歴史を辿るなかで、彼女は何度も「日本」という存在に行き当たったといいます。レジデンスで制作した作品では、古くから用いられてきた日本の布や文様を作品に取り込み、ケニアと日本に通じる視覚言語のつながり、その重なり合う歴史を探る試みが展開されます。極彩色のテキスタイルが交差するムリウ氏のイメージは、文化同士の境界線がどこに引かれるのか、その線を誰が所有しているのかという問いを浮かび上がらせます。
柴田早理
会場:ASPHODEL
Ruinart Japan Award 2025 Winner / Presented by Ruinart
KYOTOGRAPHIE 2025でルイナール・ジャパン・アワードを受賞した柴田早理氏は、フランス・ランスにあるメゾンの本拠地に滞在し、その周囲を囲む葡萄畑や森のなかで制作を行いました。本展で発表されるのは、女性が葡萄のように成長し、成熟していくストーリーを紡いだ写真作品群です。季節のうつろいとともに変化する自然の中で、柴田氏自身が女性の姿を演じながら、自然への畏怖と感謝、そして故郷に受け継がれてきた継承の感覚を織り込んでいきます。
© Sari Shibata
富山県南砺市の山あいで育ち、その後は都市で生活してきた柴田氏にとって、「人間」と「自然」の距離は長らく制作の核となってきました。ランスで過ごした時間の中で、「自然の中へ戻ること」がどれほど深く心を動かすかをあらためて実感したと語る彼女は、制御できない自然の力の前に立ったとき、人間はどのような態度を取り得るのかという問いを、静かに投げかけています。
フェデリコ・エストル
KG+SELECT Award 2025 Winner
ボリビアの首都ラパスでは、毎日3,000人を超える靴磨きの人びとが街に出て働いています。彼ら/彼女らは、ボリビアにおける「非正規の経済活動」の一端を担いながらも、そのことで差別のまなざしにさらされ、基本的な労働の権利からこぼれ落ちやすい脆弱な立場に置かれています。フェデリコ・エストル氏のプロジェクト〈Shine Heroes〉は、こうした靴磨きの人びとを、匿名の存在ではなく「ヒーロー」として捉え直す試みです。身元を隠すために仮面やフードで変装する彼らの姿を、エストルは、周縁に追いやられた存在の象徴としてではなく、むしろ「アイデンティティと団結」を象るコスチュームとして写し出しています。
Shine Heroes, 2018/© Federico Estol
エストル氏は60人の靴磨きと、彼らを支援する地元の団体「Hormigón Armado」とともに作品制作を進めてきました。靴磨きの人びとが販売する月刊新聞の特集号から始まり、写真プロジェクトの成功をもとに、CD、カレンダー、ポストカードなどさまざまな派生アイテムも生まれています。KG+SELECT 2025 Awardを受賞した本作は、KYOTOGRAPHIE 2026であらたな個展として再構成されます。会場には、ラパスで実際に使われてきた道具も展示される予定です。社会の“エッジ”で暮らす人びとが、写真を通してどのように自らの物語を取り戻すのか。そのプロセスを目撃する場となるでしょう。
ファトマ・ハッスーナ
会場:八竹庵(旧川崎家住宅)
ファトマ・ハッスーナ氏は、ガザで暮らす人々の日々を、自らの身体を通して世界へ伝え続けた写真家であり、アクティヴィストでした。2025年4月16日、わずか25歳で家族とともに爆撃により命を落とすまでの18カ月間、彼女はSNSを通じて、日常のかすかな希望や、理不尽な現実への痛切なまなざしを発信し続けました。その写真には、恐怖や喪失だけでなく、人々がともに生きようとする意志、ユーモア、そして小さな喜びが宿っています。ハッスーナ氏にとって写真は、世界へ向けて「ここに生きる私たちがいる」と示すための手段でした。そこには、匿名化されがちな“紛争地の人々”というイメージから一歩踏み込み、個々の生活と尊厳をすくい上げる彼女独自の視線があります。
© Fatma Hassona
KYOTOGRAPHIE 2026では、その貴重な写真作品を紹介し、彼女の強い意志と活動に敬意を捧げます。国連の発表(2025年9月4日時点)によれば、ガザではすでに248名以上のジャーナリストが命を落としており、近年のいかなる戦争よりも多い犠牲者数とされています。過去に例のない危険の中で、彼女は最後まで「世界へ伝えること」を諦めませんでした。八竹庵という静謐な京都の町家空間に響く、彼女のまなざし。それは単なるドキュメントではなく、「名前のある個人」の生と死を見つめる行為そのものです。この展示が、失われた無数の命に思いを寄せ、平和を願うための“祈りの場”となることを、KYOTOGRAPHIEは静かに呼びかけています。
KG+は、国内外の気鋭の作家や若手キュレーターによる展示が、市内各地のギャラリーや町家、商業空間に広がるプログラムです。公募で選ばれたプロジェクトやアワード受賞者の個展が、日常の風景の中に突然現れることで、鑑賞者は思いがけない場所で写真と出会うことになります。そこには、写真の中心と周縁、プロとアマチュア、ローカルとグローバルといった境界線を曖昧にしていく、「もうひとつのエッジ」が存在しています。
リュ・ヒョンミン《eight eyed boy》/© Hyunmin Ryu
一方のKYOTOPHONIEは、「音」を軸にしたフェスティバルとしてスタートし、KYOTOGRAPHIEと呼応するように、音楽、サウンドアート、パフォーマンスが交差する場を築いてきました。写真が視覚の“境界”を探るメディウムだとすれば、KYOTOPHONIEは、耳から立ち上がる感覚の“境界”を揺さぶる試みともいえます。
Dora Morelenbaum
2026年、京都の街では、写真と音楽、歴史的建築と現代アート、ローカルコミュニティと世界のアーティストが複雑に交錯しながら、「EDGE」というテーマをそれぞれの言葉で語りはじめます。
真実と虚構、中心と周縁、自然と人間、個人と社会。さまざまな境界線があちこちで引かれ、同時に溶け始めているいま、「EDGE」というテーマは、私たち一人ひとりのまなざしを問い直す招待状でもあります。この春、京都で出会う写真の数々は、きっと自分の中にある“エッジ”のかたちを、少しだけ変えてくれるはずです。

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026のテーマは「EDGE(エッジ)」です。その言葉どおり、今年の京都には、物理的な崖っぷちから、社会の周縁、心のギリギリの領域まで──さまざまな“際(きわ)”が立ち上がることになります。
「EDGE」というテーマが照らすもの
「EDGE(エッジ)」は、はっきりと掴めないまま、つねに形を変え続ける存在です。断崖に立ったときの身体的な緊張、衝突が起こる瀬戸際、周縁で生きることの不安定さ、そして誰も見たことのない先端に踏み出す決意──私たちが「エッジ」と聞いて思い浮かべる感覚は、一様ではありません。主催者が掲げるステートメントでは、写真そのものもまた「際」を内側に抱えたメディウムであると語られています。写真は誕生以来、芸術の中心ではなく、その周縁に位置づけられてきました。記録と芸術のあわい、真実と虚構のあいだを揺れ動きながら、その都度「写真とは何か」という問いを更新し続けてきたのです。
京都市京セラ美術館/Photo by Takeshi Asanoいま私たちは、新たなテクノロジーの到来と、画像が氾濫する時代のただなかにいます。その中で写真は、先が見えない不安と、まだ見ぬ何かを発見する高揚感が共存する「臨界点=エッジ」に立たされています。「エッジ」の向こう側に何があるのかは、誰にもわかりません。混沌とともに崩壊へ向かうのか、それとも別の世界へと誘う入口になるのか──。
KYOTOGRAPHIE 2026は、こうした「あわい」を、緊張と変化が同時に生まれる場所として描き出します。ラディカルな写真表現の隣には、都市の衰退を静かに捉えた作品があり、周縁へ追いやられたコミュニティの記録は、植民地主義や領土問題といった現在進行形のテーマと交錯します。さらに、自然の持つ超越的な力にレンズを向け、「ギリギリの際」に到達することで、視点・思考・創造の新たな地平がそっと開けていく──たとえ環境的にも、政治的にも、個人的にも、最も暗い現実の中にあったとしても。
誉田屋源兵衛 竹院の間/© Naoyuki Ogino「エッジ」とは、不確実性に満ちた場所であり、同時に可能性が生まれる場所でもある。ひとつの終わりが、次の始まりへと静かに接続される。その瞬間を、京都という都市の中で可視化していくのが、今回のKYOTOGRAPHIEです。
6組のアーティストが示す、それぞれの“際(きわ)”
今年のKYOTOGRAPHIEを象徴する6組のアーティストのプロジェクトは、まさに「EDGE」というテーマをそれぞれの方法で体現しています。森山大道
会場:京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階
キュレーション:チアゴ・ノゲイラ(モレイラ・サレス研究所)
Presented by Sigma
およそ60年にわたり、写真という表現の慣習を揺さぶり続けてきた森山大道氏。今回の展示では、作品そのものに加え、森山氏を森山氏たらしめてきた雑誌や写真集といったメディウムにも焦点を当て、ラディカルかつ精力的な軌跡を全方位からたどっていきます。戦後の高度成長期、日本社会が急速に変化していく只中で育った森山氏は、身のまわりの世界を精力的に記録しながら、カメラや印刷メディアが担う役割、そして私たちがどのようにイメージを流通させ、消費しているのかを執拗に問い続けてきました。アンディ・ウォーホル、ウィリアム・クライン、ジャック・ケルアックらからの影響をも取り込みながら、「現実の表象」「真実と虚構」「記憶と歴史」といったテーマを、写真を通じて考え抜いてきた存在です。
From Letter to St-Loup, 1990./© Daido Moriyama/Daido Moriyama Photo Foundation.KYOTOGRAPHIE 2026では、ブラジルのモレイラ・サレス研究所(IMS)のキュレーター、チアゴ・ノゲイラによる回顧展を京都ならではの構成で展開します。伝説的な雑誌『プロヴォーク』への寄稿や、写真に根本的な問いを投げかけた写真集『写真よさようなら』(1972)をはじめ、フォトエッセイや出版物の数々を通して、森山氏の「エッジ」に立ち続けるまなざしが浮かび上がります。
リンダー・スターリング
会場:京都文化博物館 別館
Presented by CHANEL Nexus Hall
リンダー・スターリング氏は、1970年代後半のイギリス・パンクシーンから登場した、同国を代表する現代アーティストのひとりです。写真やフォトモンタージュを大胆に用い、欲望や女性の身体をめぐるステレオタイプに挑み、再構築してきた作品で高く評価されてきました。ハンナ・ヘッヒやマン・レイらダダイズム/シュルレアリスムの精神を継承しながらも、リンダー氏独自の視覚言語は、現代社会におけるフェミニズムの先駆的な表現として位置づけられています。
Oedipus, 2021/© Linder, Courtesy of the artist and Modern Art, Londonアーティスト本人との綿密な協働のもと構成された今回の回顧展では、彼女の革新的な創作の軌跡をたどりながら、主要作品を京都でまとめて紹介します。ロンドンのヘイワード・ギャラリーでの回顧展に続く日本初の個展は、「女性像」というもっとも政治的な“エッジ”に長年向き合ってきたリンダー氏の仕事を、京都から世界へと発信する機会となります。
タンディウェ・ムリウ
・〈CAMO〉シリーズ
会場:誉⽥屋源兵衛 ⽵院の間 / Presented by LONGCHAMP
・KYOTOGRAPHIE African Residency Program
会場:出町桝形商店街、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space
ケニア出身の写真家、タンディウェ・ムリウ氏にとって、写真は自らの文化的ルーツを讃える方法であり、同時にアイデンティティを形づくる文化的要因に問いを投げかけるための手段でもあります。代表作〈CAMO〉シリーズでは、被写体は背景と同じテキスタイルに包まれ、姿を溶け込ませながらも、同時に「自己を写し返すキャンバス」として立ち上がります。日常生活にある日用品や、アーカイブ写真から着想を得た髪型がモチーフとして織り込まれ、そこに添えられたアフリカのことわざが、世代を超えて受け継がれてきた口承の知恵を静かに息づかせています。
An Abundance of Plenty, 2024/© Thandiwe Muriu, Courtesy 193 GalleryKYOTOGRAPHIE のアフリカン・アーティスト・イン・レジデンス招聘アーティストとして京都に滞在したムリウ氏は、〈CAMO〉に加え、レジデンス期間中に制作した新作も発表します。布やテキスタイルの歴史を辿るなかで、彼女は何度も「日本」という存在に行き当たったといいます。レジデンスで制作した作品では、古くから用いられてきた日本の布や文様を作品に取り込み、ケニアと日本に通じる視覚言語のつながり、その重なり合う歴史を探る試みが展開されます。極彩色のテキスタイルが交差するムリウ氏のイメージは、文化同士の境界線がどこに引かれるのか、その線を誰が所有しているのかという問いを浮かび上がらせます。
柴田早理
会場:ASPHODEL
Ruinart Japan Award 2025 Winner / Presented by Ruinart
KYOTOGRAPHIE 2025でルイナール・ジャパン・アワードを受賞した柴田早理氏は、フランス・ランスにあるメゾンの本拠地に滞在し、その周囲を囲む葡萄畑や森のなかで制作を行いました。本展で発表されるのは、女性が葡萄のように成長し、成熟していくストーリーを紡いだ写真作品群です。季節のうつろいとともに変化する自然の中で、柴田氏自身が女性の姿を演じながら、自然への畏怖と感謝、そして故郷に受け継がれてきた継承の感覚を織り込んでいきます。
© Sari Shibata富山県南砺市の山あいで育ち、その後は都市で生活してきた柴田氏にとって、「人間」と「自然」の距離は長らく制作の核となってきました。ランスで過ごした時間の中で、「自然の中へ戻ること」がどれほど深く心を動かすかをあらためて実感したと語る彼女は、制御できない自然の力の前に立ったとき、人間はどのような態度を取り得るのかという問いを、静かに投げかけています。
フェデリコ・エストル
KG+SELECT Award 2025 Winner
ボリビアの首都ラパスでは、毎日3,000人を超える靴磨きの人びとが街に出て働いています。彼ら/彼女らは、ボリビアにおける「非正規の経済活動」の一端を担いながらも、そのことで差別のまなざしにさらされ、基本的な労働の権利からこぼれ落ちやすい脆弱な立場に置かれています。フェデリコ・エストル氏のプロジェクト〈Shine Heroes〉は、こうした靴磨きの人びとを、匿名の存在ではなく「ヒーロー」として捉え直す試みです。身元を隠すために仮面やフードで変装する彼らの姿を、エストルは、周縁に追いやられた存在の象徴としてではなく、むしろ「アイデンティティと団結」を象るコスチュームとして写し出しています。
Shine Heroes, 2018/© Federico Estolエストル氏は60人の靴磨きと、彼らを支援する地元の団体「Hormigón Armado」とともに作品制作を進めてきました。靴磨きの人びとが販売する月刊新聞の特集号から始まり、写真プロジェクトの成功をもとに、CD、カレンダー、ポストカードなどさまざまな派生アイテムも生まれています。KG+SELECT 2025 Awardを受賞した本作は、KYOTOGRAPHIE 2026であらたな個展として再構成されます。会場には、ラパスで実際に使われてきた道具も展示される予定です。社会の“エッジ”で暮らす人びとが、写真を通してどのように自らの物語を取り戻すのか。そのプロセスを目撃する場となるでしょう。
ファトマ・ハッスーナ
会場:八竹庵(旧川崎家住宅)
ファトマ・ハッスーナ氏は、ガザで暮らす人々の日々を、自らの身体を通して世界へ伝え続けた写真家であり、アクティヴィストでした。2025年4月16日、わずか25歳で家族とともに爆撃により命を落とすまでの18カ月間、彼女はSNSを通じて、日常のかすかな希望や、理不尽な現実への痛切なまなざしを発信し続けました。その写真には、恐怖や喪失だけでなく、人々がともに生きようとする意志、ユーモア、そして小さな喜びが宿っています。ハッスーナ氏にとって写真は、世界へ向けて「ここに生きる私たちがいる」と示すための手段でした。そこには、匿名化されがちな“紛争地の人々”というイメージから一歩踏み込み、個々の生活と尊厳をすくい上げる彼女独自の視線があります。
© Fatma HassonaKYOTOGRAPHIE 2026では、その貴重な写真作品を紹介し、彼女の強い意志と活動に敬意を捧げます。国連の発表(2025年9月4日時点)によれば、ガザではすでに248名以上のジャーナリストが命を落としており、近年のいかなる戦争よりも多い犠牲者数とされています。過去に例のない危険の中で、彼女は最後まで「世界へ伝えること」を諦めませんでした。八竹庵という静謐な京都の町家空間に響く、彼女のまなざし。それは単なるドキュメントではなく、「名前のある個人」の生と死を見つめる行為そのものです。この展示が、失われた無数の命に思いを寄せ、平和を願うための“祈りの場”となることを、KYOTOGRAPHIEは静かに呼びかけています。
KG+、KYOTOPHONIEへ──“エッジ”は京都の街へ広がっていく
KYOTOGRAPHIEの魅力は、メインプログラムだけにとどまりません。京都の街全体を巻き込むサテライトイベント「KG+」と、音と写真の対話から生まれたフェスティバル「KYOTOPHONIE」が、テーマ「EDGE」をさらに多層的に広げていきます。KG+は、国内外の気鋭の作家や若手キュレーターによる展示が、市内各地のギャラリーや町家、商業空間に広がるプログラムです。公募で選ばれたプロジェクトやアワード受賞者の個展が、日常の風景の中に突然現れることで、鑑賞者は思いがけない場所で写真と出会うことになります。そこには、写真の中心と周縁、プロとアマチュア、ローカルとグローバルといった境界線を曖昧にしていく、「もうひとつのエッジ」が存在しています。
リュ・ヒョンミン《eight eyed boy》/© Hyunmin Ryu一方のKYOTOPHONIEは、「音」を軸にしたフェスティバルとしてスタートし、KYOTOGRAPHIEと呼応するように、音楽、サウンドアート、パフォーマンスが交差する場を築いてきました。写真が視覚の“境界”を探るメディウムだとすれば、KYOTOPHONIEは、耳から立ち上がる感覚の“境界”を揺さぶる試みともいえます。
Dora Morelenbaum2026年、京都の街では、写真と音楽、歴史的建築と現代アート、ローカルコミュニティと世界のアーティストが複雑に交錯しながら、「EDGE」というテーマをそれぞれの言葉で語りはじめます。
境界線の向こう側に何を見るか
崖っぷちの緊張、周縁に立つ不安、未知へ踏み出す高揚──。今年のKYOTOGRAPHIEは、そうした「際(きわ)」に宿る感覚を、京都という都市の時間と空間の中でゆっくりと掘り起こしていく写真祭です。真実と虚構、中心と周縁、自然と人間、個人と社会。さまざまな境界線があちこちで引かれ、同時に溶け始めているいま、「EDGE」というテーマは、私たち一人ひとりのまなざしを問い直す招待状でもあります。この春、京都で出会う写真の数々は、きっと自分の中にある“エッジ”のかたちを、少しだけ変えてくれるはずです。
【開催概要】
KYOTOGRAPHIE 2026 京都国際写真展
日程:2026年4月18日(土)~5月17日(日)
会場:京都市京セラ美術館、京都文化博物館、八竹庵(旧川崎家住宅)、誉田屋源兵衛 竹院の間、出町桝形商店街、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space、ASPHODEL、ygion、嶋臺ギャラリーほか京都市内十数カ所
KYOTOGRAPHIE 2026 京都国際写真展
日程:2026年4月18日(土)~5月17日(日)
会場:京都市京セラ美術館、京都文化博物館、八竹庵(旧川崎家住宅)、誉田屋源兵衛 竹院の間、出町桝形商店街、DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space、ASPHODEL、ygion、嶋臺ギャラリーほか京都市内十数カ所





























