立花ハジメ×アンダーカバー高橋盾が語る「ファッション・デジタル・東京」5/6【特別対談】

2014.05.30

1985年に国際ビデオビエンナーレで立花ハジメが映像ユニットのラジカルTVとジョイントして発表したのはデジタルとアナログ、機械と人間、ハイテクとローテクを調和させた“テクノ”をベースにした「ロックンロールという伝統芸能の枠を超えたショービジネス」だった。レコードの売り上げがCDの売り上げを上回っていたその時代に、既に音や映像のデジタルデータ化というものをテーマにして作品を発表していた立花ハジメは、90年代に入りデザイン個展を開始。1991年にタイポグラフィーでADC賞最高賞も受賞している。

94-95AWに東京コレクションでデビューしたアンダーカバーは、03SSからパリコレクションに参加。11-12AWでパリでのショーを一旦休止していたが、13-14AWよりパリコレを復活。一貫して東京ミックスとも言える様々な要素、カルチャーを混ぜ合わせた独自のモード観が海外のメディアでも評価されている。


高橋盾(以下J):僕は音楽にしてもフォークやミニマルなテクノといろんな引き出しがあるし、映画ファッションもいろんな物が好きで雑。いろんなレイヤーがあって、それをいかに消化して混ぜて発表するというのは自分のスタイルなんです。

立花ハジメ(以下H):それってすごく東京ぽいことじゃない。

J:そうなんですよ。リミックス世代。90年代的なんですよね。でも、ハジメさんがなさってきた活動も、そうでしょ。今回の『Monaco』の作品の中でも、ミックスするという行為は同じアプローチなんじゃないですか?

H:原点のプラスチックスをやっていた70年代後半に、60年代にロンドンニューヨークが注目されたように、TOKYOがTOKIOになって世界的にも東京が面白い街として注目を浴び始めた時期があって、その頃からミックスするという行為は変わってないかも知れない。今回のMonacoに関しては何故、USBで出したかと言うと、今までCDやDVDで出していたものをこれからはファイルで販売される時代になるので、まずUSBを買ってもらおうと。ホームページもリニューアルしてTシャツのデザインのマスターデータや、95年のアプリケーションツアーののデータをオンラインで売っていたりするんだけれど、今後はデータとして作品をファイルで出していくことが多いので、USBにファイルをコレクションしてもらうという、ファンとは長い付き合いの作業になる。

J:デジタルデータ化というのは洋服だと中々難しくて、自分では中々作品としては結びついていないんです。ハジメさんのやっていることって時代とリンクしていて面白いなと思います。デジタルデータでのアーカイブということで言えば、アンダーカバーは今年でショーをやって20年目だから、ショーの映像は40シーズン分あるから、みんなに見てもらうためにDVDで出すとなるとボックスセットになっちゃう。でも、もうそういう時代じゃないんで、それならUSBというのも出来ますね。

H:ジョニオは自分でMacも触るし、自分自身の中でアコースティックな部分とデジタルな部分のバランスが取れれば、すぐやると思うよね。ただジョニオにことだから普通のUSBだと面白くないだろうし。

J:メチャクチャ大きいUSBとか(笑)。

H:USBというのはあくまでも差し込み口の形状のことだから、何でも良いんだよ。ドレスやテーブルにUSB付いてても良いんだし、盆栽でも大丈夫だよ(笑)。

J:そういう新しいことは大体、東京発信で始まるし、それが後から世界各国で誰かが、自分が最初にやったかのように広がっていきますよね。

H:それはプラスチックスの時から、新しいことを東京から始めるという意気込みで世界を意識していたんだよね。あの頃から比べると本当に東京のクリエーターの活動はワールドワイドになった。ジョニオが出てきた時、そんな時代になったんだと思ったよね、(藤原)ヒロシの最近の活動なんて本当にワールドワイドだし。

J:ワールドワイドにやることは普通になりましたね。

H:プラスチックスの頃は気負いがあって、世界一より日本一、東京一が世界一、みたいな東京と世界に区切りを付けていた感覚があったけれど。でもいつの間にか、ボーダレスになって東京でもロンドンでもいい物はいい!という感じになったよね。

J:インターネットが普及してそれは大きく変わったんでしょうけど、僕がデザインを始めた頃はまだインターネットは無くって、友達の関係とかで意外なところで人と関係して広がったって言う感じがありますね。

H:それは僕もネットのない時代にプラスチックスで世界をツアーして、ディーボやトーキングヘッズ、B52s、トムトムクラブなどと友達になってネットワークが広がったというのが大きい。Monacoの1曲目の「Max’s Kansas City」 もその頃のNYのクラブというかライブハウスの名前が曲名。NYでクラブ誕生前夜というか変わり目の頃で、CBGBとかと同じライブハウスなんだよね。マッドクラブやペパーミントラウンジに出てたバンドが出演していたのがMax’s Kansas City。店自体はオールドスクールのライブハウスだっただけど、そこに今日は誰が出ているというような歌詞。あの曲で話しているのはコンピューターなんだけどね。MacのOS9のシンプルテキストを打ち込んだら話すやつ。

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編集部
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