本棚に並ぶ、まだ読んでいない本。それは「読んでいない」という事実だけを見れば、役に立っていないものなのかもしれません。けれど、その本をいつか開けば、まだ知らない思想や物語、人生に出会えるかもしれない。そう考えれば、未読の本は「知らないこと」が存在している証であると同時に、これから出会うことのできる世界を蓄えた場所にもなります。
Courtesy of Valentino
ヴァレンティノ(Valentino)のクリエイティブ ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が2027年春夏コレクション「ANTILIBRARY(アンティ ビブリオテーカ)」でファッションに重ねたのは、そんな「まだ知らないもの」が持つ可能性です。
「アンチライブラリー」という考え方の起点にあるのは、イタリアの小説家、哲学者、記号学者ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)が所有していた約3万冊もの蔵書です。思想家ナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)は著書『ブラック・スワン』で、エーコの蔵書について紹介しました。
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そこで重要なのは、彼がすでに読んだ本の数ではありません。むしろ価値を持つのは、棚を埋め尽くすまだ読まれていない本。知識が増えるほど、その外側にはさらに大きな未知が存在することに気づく。アンチライブラリーとは博識さを誇示するための場所ではなく、「自分がまだ知らないこと」を目に見える形で蓄えておく、研究のための道具なのです。
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ミケーレはそこに、日本の「積ん読」との共通点も見出しています。買ったまま読まずに積み重ねられた本も、単なる先延ばしの結果ではない。その一冊一冊には、これから出会うかもしれない人生や思想、物語が閉じ込められている。まだ開いていないからこそ、未来の発見や喜びへの期待が残されています。 では、これをファッションに置き換えたらどうなるのでしょう。
毎シーズン、膨大な数の服が生み出されます。誰かのワードローブに入り、何度も着られる服もあれば、ショーのランウェイを一度だけ通り過ぎる服もある。写真の中にだけ残る服も、所有されながら、ほとんど袖を通されることのない服もあります。「服は着るもの」という機能だけで考えれば、後者にはどれほどの意味があるのでしょうか。
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ミケーレがアンチライブラリーという考え方を通して見つめるのは、その先です。服は実際に身体に触れる以前から、まなざしや記憶、イメージの中に存在することができる。たとえ自分が着ることがなくても、そのシルエットや色、装飾、身体との関係を見ることで、それまで想像していなかった美しさや人物像、あるいは生き方まで思い描くことができます。 そう考えると、服の価値を「実際に着られるか」「役に立つか」だけで測ることはできなくなります。
今季のルックには、ひとつの人物像へと収束しないさまざまな服が並びます。鮮やかな色彩とフェザーやフリンジが身体の動きに重なるドレス。チェックのジャケットと透ける素材を組み合わせたスタイル。スポーティなキャップと装飾的なトップス。ゆったりとしたテーラリング。そして、ジュエリーを重ねた漆黒のロングドレスや、鮮烈なピンクで描かれたイブニングドレス。一つひとつが同じ物語の登場人物というより、それぞれに異なる物語が始まる前のようにも見えます。
Courtesy of Valentino
ミケーレは、ファッションショーそのものを「視覚的なアンチライブラリー」として捉えます。そこに蓄積されているのは、フォルム、美的感覚、シルエット、そして身体のあり方。すべてが現実のワードローブとして実現されなくても、見る人の想像を別の場所へ連れていく「表現の可能性のアーカイブ」です。服を並べるランウェイが、まだ読んでいない本を並べる書棚のようになるのです。
ここでミケーレの思考は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)が論じてきた「潜在性」へとつながります。可能性の価値は、それが現実になることだけにあるわけではない。何かひとつの形に決まる前には、いくつもの異なる道が存在しています。そして、選ばれなかった道も、可能性として存在していたという事実まで失われるわけではありません。
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ファッションショーの服も同じです。ランウェイに登場した服をすべて所有することも、すべて着ることもできません。それでも、実際には選ばなかった服、着ることのない服を見ることで、「こんな自分もあり得るかもしれない」と想像することはできます。だからファッションは、消費される「今」だけに作用するのではなく、まだ現実になっていない世界にまで私たちの想像を広げていく。
開かれることなく本棚に置かれた本が、まだ知らない世界を内包しているように、決して自分が着ることのない服もまた、ひとつの可能性を目の前に置いてくれます。それは、「あの服を着ればよかった」という後悔ではありません。
Courtesy of Valentino
自分とは違う色を選ぶこと。これまでとは違うシルエットを身につけること。別の美しさを受け入れること。そこから、自分が送ることのできたかもしれない、あるいはこれから送ることのできる人生まで想像してみること。
Courtesy of Valentino
ミケーレは、それを「明るい約束」として捉えています。可能性として存在するものがあることで、世界はより広く、豊かに、生きやすい場所になる。人間には、現実に選んだひとつの世界だけではなく、まだ見ぬ世界、あるいは永遠に訪れないかもしれない世界にさえ、想像の中で身を置く力があるのだと。
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「ANTILIBRARY」が問いかけるのは、服を何着所有するかでも、どれだけ着こなせるかでもありません。
その答えは、服が身体を包むためだけに存在しているわけではないからなのかもしれません。まだ読んでいない本が未知の世界への入口になるように、まだ着たことのない服、そしておそらく一生着ることのない服も、自分がまだ知らない美しさや身体、人生を想像するきっかけになる。
Courtesy of Valentino
アレッサンドロ・ミケーレがヴァレンティノ2027年春夏でつくり上げた「ANTILIBRARY」は、そんなまだ実現していない可能性を収めた、服の図書館なのです。
アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele) | Courtesy of Valentino
Courtesy of Valentinoヴァレンティノ(Valentino)のクリエイティブ ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が2027年春夏コレクション「ANTILIBRARY(アンティ ビブリオテーカ)」でファッションに重ねたのは、そんな「まだ知らないもの」が持つ可能性です。
読んだ本ではなく、「まだ読んでいない本」のための図書館
「アンチライブラリー」という考え方の起点にあるのは、イタリアの小説家、哲学者、記号学者ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)が所有していた約3万冊もの蔵書です。思想家ナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)は著書『ブラック・スワン』で、エーコの蔵書について紹介しました。
Courtesy of Valentinoそこで重要なのは、彼がすでに読んだ本の数ではありません。むしろ価値を持つのは、棚を埋め尽くすまだ読まれていない本。知識が増えるほど、その外側にはさらに大きな未知が存在することに気づく。アンチライブラリーとは博識さを誇示するための場所ではなく、「自分がまだ知らないこと」を目に見える形で蓄えておく、研究のための道具なのです。
Courtesy of Valentinoミケーレはそこに、日本の「積ん読」との共通点も見出しています。買ったまま読まずに積み重ねられた本も、単なる先延ばしの結果ではない。その一冊一冊には、これから出会うかもしれない人生や思想、物語が閉じ込められている。まだ開いていないからこそ、未来の発見や喜びへの期待が残されています。 では、これをファッションに置き換えたらどうなるのでしょう。
一度しかランウェイを歩かない服にも、意味はある
毎シーズン、膨大な数の服が生み出されます。誰かのワードローブに入り、何度も着られる服もあれば、ショーのランウェイを一度だけ通り過ぎる服もある。写真の中にだけ残る服も、所有されながら、ほとんど袖を通されることのない服もあります。「服は着るもの」という機能だけで考えれば、後者にはどれほどの意味があるのでしょうか。
Courtesy of Valentinoミケーレがアンチライブラリーという考え方を通して見つめるのは、その先です。服は実際に身体に触れる以前から、まなざしや記憶、イメージの中に存在することができる。たとえ自分が着ることがなくても、そのシルエットや色、装飾、身体との関係を見ることで、それまで想像していなかった美しさや人物像、あるいは生き方まで思い描くことができます。 そう考えると、服の価値を「実際に着られるか」「役に立つか」だけで測ることはできなくなります。
ランウェイは「可能性を収めた図書館」になる
今季のルックには、ひとつの人物像へと収束しないさまざまな服が並びます。鮮やかな色彩とフェザーやフリンジが身体の動きに重なるドレス。チェックのジャケットと透ける素材を組み合わせたスタイル。スポーティなキャップと装飾的なトップス。ゆったりとしたテーラリング。そして、ジュエリーを重ねた漆黒のロングドレスや、鮮烈なピンクで描かれたイブニングドレス。一つひとつが同じ物語の登場人物というより、それぞれに異なる物語が始まる前のようにも見えます。
Courtesy of Valentinoミケーレは、ファッションショーそのものを「視覚的なアンチライブラリー」として捉えます。そこに蓄積されているのは、フォルム、美的感覚、シルエット、そして身体のあり方。すべてが現実のワードローブとして実現されなくても、見る人の想像を別の場所へ連れていく「表現の可能性のアーカイブ」です。服を並べるランウェイが、まだ読んでいない本を並べる書棚のようになるのです。
実現しない可能性にも、価値がある
ここでミケーレの思考は、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)が論じてきた「潜在性」へとつながります。可能性の価値は、それが現実になることだけにあるわけではない。何かひとつの形に決まる前には、いくつもの異なる道が存在しています。そして、選ばれなかった道も、可能性として存在していたという事実まで失われるわけではありません。
Courtesy of Valentinoファッションショーの服も同じです。ランウェイに登場した服をすべて所有することも、すべて着ることもできません。それでも、実際には選ばなかった服、着ることのない服を見ることで、「こんな自分もあり得るかもしれない」と想像することはできます。だからファッションは、消費される「今」だけに作用するのではなく、まだ現実になっていない世界にまで私たちの想像を広げていく。
着ることのない服が、「別の人生」を見せてくれる
開かれることなく本棚に置かれた本が、まだ知らない世界を内包しているように、決して自分が着ることのない服もまた、ひとつの可能性を目の前に置いてくれます。それは、「あの服を着ればよかった」という後悔ではありません。
Courtesy of Valentino自分とは違う色を選ぶこと。これまでとは違うシルエットを身につけること。別の美しさを受け入れること。そこから、自分が送ることのできたかもしれない、あるいはこれから送ることのできる人生まで想像してみること。
Courtesy of Valentinoミケーレは、それを「明るい約束」として捉えています。可能性として存在するものがあることで、世界はより広く、豊かに、生きやすい場所になる。人間には、現実に選んだひとつの世界だけではなく、まだ見ぬ世界、あるいは永遠に訪れないかもしれない世界にさえ、想像の中で身を置く力があるのだと。
Courtesy of Valentino「ANTILIBRARY」が問いかけるのは、服を何着所有するかでも、どれだけ着こなせるかでもありません。
着ることのない服は、なぜ必要なのか。
その答えは、服が身体を包むためだけに存在しているわけではないからなのかもしれません。まだ読んでいない本が未知の世界への入口になるように、まだ着たことのない服、そしておそらく一生着ることのない服も、自分がまだ知らない美しさや身体、人生を想像するきっかけになる。
Courtesy of Valentinoアレッサンドロ・ミケーレがヴァレンティノ2027年春夏でつくり上げた「ANTILIBRARY」は、そんなまだ実現していない可能性を収めた、服の図書館なのです。
アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele) | Courtesy of Valentino
































































































