【編集長ブログ】ジャンポール・ゴルチエの終わり

2014.09.28

パリ出張前に当に悲しい報を聞いた。「ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul GAULTIER)」のプレタポルテ部門が閉鎖されるのだ。

私がモードに興味を持ったのはゴルチエであった。クラシックと未来、フォーマルとエスニック、女と男、明と暗、あらゆる要素をつなぎ合わせて違和感無く作るそのコレクションに魅了された。私にとってファッションと言えばゴルチエで、服と言えばゴルチエで、デザイナーと言えばゴルチエで、最早一つの概念である。

9月27日にパリの映画館グラン・レックスで開かれたラストショーはゴルチエの変わらないユーモア、ラブを感じさせるすばらしいエンターテインメントだった。詳細なレビューはまたの機会に筆を譲るが、テーマは「MISS JEAN PAUL GAULTIER」。今までの歴史を振り返るかのように、ゴルチエのミスコンテストが開かれた。フランス国旗のトリコロールカラーにこうプリントされたインビテーションを見て、ワクワクしない人はいないだろう。観客はノリノリで、ゴルチエが出て来たラストには総立ちになった。とても最後とは思えないハッピーなエンディングだった。

80年代からコレクション取材に出掛けていた先輩方にゴルチエの話を聞くと、常に「ゴルチエのショーは毎回何が起こるか楽しみだった。インビテーションはプラチナチケットだったけれど」と皆口をそろえて言う。

80年代当時、園児だった私にとってゴルチエの全盛期は残された資料でしか窺い知ることが出来ないが、それはそれはスペクタクルなショーだったようだ。パリのギャルリーヴィヴィエンヌにある本店オープン時には、前の道路をすべて借り切りサーカスが催されたという。そんな彼のクリエーティービティーを黎明期から支えたのはオンワード樫山だ。彼を見初めた同社スタッフは3人いた。執行役員でヴィアバスストップ社社長だった故・奥田彰氏もその1人。ゴルチエがデザインしたマリンパンツに惚れたという。同じ日本人として何と誇らしいことだろうか。

以降2000年代中盤まで、バイヤーランキング、ジャーナリストランキング1位に輝いていた。生粋のフランス人デザイナーであることを差し引いてもこんなブランドは無い。

私にとってのベストコレクションは2003年春夏メンズコレクション「ミシェル・ポルナレフのように残酷に、マリリン・マンソンのようにロマンティックに」だ。マンソンのメイクをプリントしたチュールカットソー、リングが付いたゴシックなプリーツスカート、ストッキングやマタドールパンツ、シャツを重ねに重ねたレイヤードスタイルにやられた。ダークであり、ロックであり、フェミニンで、そしてクラシック。とてもゴルチエらしい。

やはりゴルチエの真骨頂は性の垣根なくアイテムを作るところだろう。チュールのカットソー、男性のためのスカートは定番。かつてはキャミソールなどランジェリーまで出たことがある。極めつけはウエディングドレスが登場した1996年秋冬メンズコレクション「オム・クチュール」だ。これほど美しい男性服は見たことがない。ファッションはファンタジーとよく言われるが、ゴルチエはファンタジーを体現していた。

しかしこんな偉大なクチュリエなのに、20代の子に質すとほとんどの子が知らない。某有名スタイリストのアシスタントも知らなかった。とても悲しいがこれが諸行無常の現実だ。

今後は香水部門とオートクチュールの展開となる。名香「ル・マル」が無くならないことはうれしいが、服はもう庶民に手の届かない存在となってしまった。

Au revoir "Jean Paul GAULTIER".
最後のプレタポルテコレクションを見られた幸福に感謝致します。


Mitsuhiro Ebihara
  • ラストとなったジャンポール・ゴルチエ15SSコレクション
  • コレクションは映画館で発表された
  • インビテーションはミスコンテストのタスキを模したもの
  • ショーはミスコンテストのようにスタート
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