12月3日はジャン=リュック・ゴダールの誕生日です

2014.12.03

映画監督のジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)は1930年12月3日生まれ。フランスパリ出身。

フランスに生まれ、幼少時代は母の故郷のスイスで過ごす。48年に両親が離婚するとパリに戻り、翌年にはソルボンヌ大学に入学。この頃、ゴダールはシネクラブ「デュ・カルティエ・ラタン」に参加しており、機関誌『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』では、当時のメンバーだったジャック・リヴェット (Jacques Rivette)らと共に誌面に映画論を投稿している。こうした批評活動の延長として、彼らはやがて映画の製作にも手を伸ばし、古典映画を否定するような斬新な作品を次々と発表していった。こうした活動は“ヌーベルバーグ”と呼ばれ、後のフランス映画界に多大な影響を与えている。

59年、ゴダールは初の長編映画『勝手にしやがれ』を発表する。街頭撮影を中心に即興的な演出を織り交ぜたロケに始まり、シーンのつながりを無視したフィルム編集が頻繁に行われるなど、従来の映画界の常識では考えられないような実験的演出。それは、観客だけでなく業界関係者にも大きな衝撃を与えることになり、これによってゴダールはヌーベルバーグの旗手として、その名を一躍世界へと知れ渡らせた。

その後もゴダールは61年に『女は女である』でベルリン国際映画祭銀熊賞を、65年に『アルファヴィル』で金熊賞を受賞。しかし、67年に“商業映画と決別する”と宣言すると、映画製作集団「ジガ・ヴェルトフ」を結成。マルクス・レーニン主義による映画界の変革を目指し、今まで以上に実験的な映像表現を試みるようになる。68年にはフランソワ・トリュフォーらと共に、カンヌ国際映画祭を中止に追い込むなど、その活動は次第に政治色を帯びていった。

しかし、80年公開の『勝手に逃げろ/人生』で商業映画に復帰すると、83年には『カルメンという名の女』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。以降も『右側に気を付けろ』や『ゴダールの映画史』などの名作を次々と発表していった。14年には初の3D長編となる『さらば、愛の言葉よ』で、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞している。

これらの功績が評価され、02年には高松宮殿下記念世界文化賞受賞が授与されている。一方、私生活では61年に女優アンナ・カリーナと結婚するが、65年に離婚。67年に女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーと再婚した。
HEW
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