日本女子のシーンを作るナイロン・ジャパン--2/11【日本モード誌クロニクル第3部:横井由利】

2015.03.17

「創刊当初は、欧米の編集スタイルを踏襲してフリーランスの方々にクレジットだけ付けてノーギャラでとお願いしましたが、日本って雑誌がたくさんあり、エディトリアルの仕事だけでもやっていけるからだと思うんですが、欧米スタイルは通用しませんでした。そこで海外で撮影することにしたら、ニック・ナイトもエレン・ヴォン・アンワースも撮ってくれたし、ブランドミックスのコーディネートもOK(日本ではルックブック通りのコーディネートで撮影する、というのが大まかな決まりごとになっている)でした」という戸川氏。

創刊当初から広告も順調に入り、リフト(米版の記事を翻訳して使う)などを多用し経費を絞ることで創刊号から黒字でスタートした。雑誌を作るには1冊何千万もかかりキャッシュフローがないと続かない。解決法は堅調な広告収入だ。ややもすると社長と編集長の考えが相反する場合が多いが、戸川氏は1人で2役をこなすので矛盾することがなかったからだろう。話を聞くうちに、独特の勘と戸川マジックが、随所に見受けられることに気がつく。

その一つが『ナイロン・ジャパン』の転機となる日本の女子に向けた雑誌作りにシフトしたタイミングだ。『ナイロン・ジャパン』はライセンス版ながらビジネスを成功させる確固としたポリシーがあった。

「創刊から4年ほど経ち、モードという概念から離れストリートに方向を集中しました。渋谷、原宿でNo.1になろうと思ったんです。まずモデルを日本人とハーフに切り替えたら、読者の反応があきらかに変わり、手応えを感じました」

日本版のモード誌には、ほとんど外国人モデルが登場する。本国版の編集者からどうして日本人モデルを使わないのかという疑問を投げかけられるのを何度か聞いたことがある。その度に、日本人より外国人モデルの方が洋服が似合う体型だとか、ビジュアルはあくまでもイメージの世界だから、日本人にこだわる必要はないという答えだった。

ライセンスマガジンの常識を覆し『ナイロン・ジャパン』は読者を巻き込み、彼女達のシーンを作るためにも、日本人もしくはハーフモデルを選ぶことにしたのだ。

「ライセンスマガジンとはいえ本国版をなぞるだけでは意味がありません。本国版は、その国の読者に近い環境から誕生したモデル達が登場するから、より多くの共感が得られる。そうなるには、スタイルの違うViViにならなければ成功とは言えないんじゃないかと思ったのです」と、戸川氏はきっぱりと言い切った。

水原希子が表紙になった2010年8月号、読者のシーンを作る『ナイロン・ジャパン』が始動したことを印象づけた。水原希子はViViの専属契約をする前に何度か『ナイロン・ジャパン』にも登場していたが、映画『ノルウェイの森』で女優デビューした2010年頃に再び『ナイロン・ジャパン』に戻り表紙を飾った。新垣結衣や木村カエラやイマルも『ナイロン・ジャパン』のイメージを牽引する存在だ。彼女達は、ラグジュアリーブランドも、109やラフォーレの人気ブランドも着こなす。戸川氏が言う「読者のシーンを作る」という意味が次第に解けていく。読者は、誌面に登場する水原希子や新垣結衣が、何を見て何を感じるのか、それを追体験することで自分たちのスタイルを完成させていくのだ。そのファクターとして『ナイロン・ジャパン』が機能する。外国人のモデルやセレブでは、生活環境が違うため夢物語になってしまうのだ。

雑誌は、読者が手に入るかもしれない理想の世界へ誘う手引き書の役割を担っていた。ところが、情報が簡単に手に入る時代になると、半歩先んじることより読者との距離を縮め「共感を得る=シーンを作る」ことが役割になってきたのだ。

3/11--ナイロン・ジャパンのデジタルコミュニケーションに続く。
Yuri Yokoi
  • 『ナイロン・ジャパン 2010年8月号』。水原希子が初表紙を飾った
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