日本モード誌クロニクル(2ページ)

【日本モード誌クロニクル:横井由利】立ちはだかる困難から見えてきたもの。渡辺三津子が編集長に--5/12後編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】立ちはだかる困難から見えてきたもの。渡辺三津子が編集長に--5/12後編

ヴォーグが軌道に乗ると、渡辺三津子は、編集長代理から編集長になり、斎藤和弘は社長職と全誌のエディトリアル・ディレクターを兼務した。その頃から、ウェブサイトVOGUE.com も本腰を入れ始めた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】斎藤和弘という強いリーダーによるヴォーグ変革--4/12後編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】斎藤和弘という強いリーダーによるヴォーグ変革--4/12後編

創刊当初は、グローバルに通用するVOGUEのフィロソフィー、VOGUE is VOGUE を日本人スタッフに伝えるために海外から何人もの優秀なスタッフが送り込まれ、外国人×日本人の混合チームによる立ち上げはVOGUEらしく成功した。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】VOGUEはVOGUE。ヴォーグコード2--3/12後編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】VOGUEはVOGUE。ヴォーグコード2--3/12後編

「すべては、VOGUE is VOGUE という言葉に集約されています。日経コンデナスト設立当初から、他社の雑誌と比較するのではなく独自の道をいくという、VOGUEコードが存在していたのです」(北田淳社長)

【日本モード誌クロニクル:横井由利】初めて明かされたヴォーグコード1--2/12後編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】初めて明かされたヴォーグコード1--2/12後編

プレス発表から長い準備期間を経て1999年7月28日『ヴォーグ ニッポン』は創刊した。表紙は、ケイト・モスと日本人モデルミキのモノクロの写真(クレイグ・マクディーン撮影)にショッキングピンクのタイトル「ヴォーグ ニッポン」が載せられていた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】満を持して『ヴォーグ』上陸--1/12後編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】満を持して『ヴォーグ』上陸--1/12後編

1996年の末、ファッション・出版業界、広告代理店の間で、ヴォーグがいよいよ日本に上陸するらしいとの噂が流れた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】新コンセプトで再創刊した『マリ・クレール スタイル』とは--12/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】新コンセプトで再創刊した『マリ・クレール スタイル』とは--12/12前編

書店から『マリ・クレール』が姿を消すなど、誰も想像しなかった。ところが、2009年惜しまれながら27年の歴史を閉じた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】エコ・リュクスという服を着た生駒芳子の『マリ・クレール』--11/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】エコ・リュクスという服を着た生駒芳子の『マリ・クレール』--11/12前編

版元の事情で、雑誌が休刊になったり、版元が変わることはある話だが、『マリ・クレール』に関しては、中央公論社(現中央公論新社)が読売新聞社の傘下に入ると、角川書店へ移り、2003年にはアシェット婦人画報社(現ハースト婦人画報社)へと移っていった。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】最新モードと知性を纏った『マリ・クレール』。小指敦子と安原顕--10/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】最新モードと知性を纏った『マリ・クレール』。小指敦子と安原顕--10/12前編

中央公論社には、婦人公論という革新的な生き方を目指す女性に向けた雑誌が存在し、巻頭のグラビアページではモードの先端を伝える企画も存在していた。ただ『マリ・クレール』を出版するには、ファッション業界を熟知するプロフェッショナルが必要だった。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】パリを身近に感じる『マリ・クレール』の創刊--9/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】パリを身近に感じる『マリ・クレール』の創刊--9/12前編

1982年5月、『マリ・クレール ジャポン』は中央公論社(現中央公論新社)より創刊した。

【日本モード誌クロニクルbis:横井由利】紙媒体とwebの未来。融合する『ELLE UK』--8/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクルbis:横井由利】紙媒体とwebの未来。融合する『ELLE UK』--8/12前編

塚本香編集長に、『エル・ジャポン』は今後どのように進化するのか聞いてみた。『ELLE UK』は紙とデジタルが連動する媒体作りを行っているという。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】25周年を迎える『エル・ジャポン』。塚本香編集長の新基軸--7/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】25周年を迎える『エル・ジャポン』。塚本香編集長の新基軸--7/12前編

『エル・ジャポン』はマガジンハウスから離れた後、本社都合により版元の社名が変わっていった。そして2012年2月4代目編集長に塚本香が就任。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】『エル・ジャポン』は独自路線を歩み始めた--6/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】『エル・ジャポン』は独自路線を歩み始めた--6/12前編

「とにかく、6ヶ月から1年でエルの輪郭を作り、結果をだそうと思ったんです」。森明子編集長のその決意は、特集主義となって現れた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】変化を恐れず前進する『エル・ジャポン』。森明子体制へ--5/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】変化を恐れず前進する『エル・ジャポン』。森明子体制へ--5/12前編

1997年5月号『エル・ジャポン』の表紙には「エルがかわりました!」と、高らかに宣言する言葉が記されていた。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード誌の変容。『エル・ジャポン』が独立--4/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード誌の変容。『エル・ジャポン』が独立--4/12前編

『アンアン/エル・ジャポン』は、1982年『アンアン』と『エル・ジャポン』が分離することになった。『アンアン』のコンセプトがパリ好き、モード好きの女性から、もっと日本色を強く打ち出す雑誌になっていったからと聞いている。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード誌元年はこうして始まった。『アンアン/エル・ジャポン』創刊--3/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード誌元年はこうして始まった。『アンアン/エル・ジャポン』創刊--3/12前編

『アンアン/エル・ジャポン』が1970年3月に創刊。芝崎文が編集長、堀内誠一がアートディレクターを務め、パリコレ情報は長沢節が解説、三島由紀夫のエッセイも掲載。73年、スタイリスト原由美子がコレクション取材へ赴く。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】モードが日本にやって来た。ディオールからケンゾー--2/12前編まで 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】モードが日本にやって来た。ディオールからケンゾー--2/12前編まで

米『Harper’s BAZAAR』の編集長カーメル・スノーは、クリスチャン・ディオール(Chiristian Dior)の初コレクション(1947年)が終わると「これこそニュールックだわ!」と叫び、その言葉が世界中に配信されると、一夜にしてムッシュ・ディオールは時の人となった。

【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード界とモード誌の関係--1/12前編 画像
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【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード界とモード誌の関係--1/12前編

モードとは、移ろいやすいもの。昨日まで黒い服がトップトレンドだったはずが、翌日には白い服の時代がやってくる。こうした現象は、デザイナーの気まぐれが引き起こすことではなく、空気感を読み解くデザイナーが、新しいスタイルを提案することによるものだ。

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