ヴォーグと肩を並べるロフィシェル--4/11【日本モード誌クロニクル第3部:横井由利】

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『ロフィシェル ジャポン』創刊号
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  • 『ロフィシェル ジャポン』最終号
ロフィシェルというモード誌をご存知だろうか、モードにかかわる人ならその名を聞くだけで、エレガントなモデルがオートクチュールのドレスを纏ったシーンをイメージするに違いない。

1920年『パリ ヴォーグ』の創刊から1年後の1921年『ロフィシェル』もフランスで創刊した。女流作家のコレットらの協力をえて、パリのラグジュアリーな最新モードを掲載するモード誌として、世界中に名を轟かせた。

第2次世界大戦が集結すると、1947年のデビューコレクションで一躍時の人となったクリスチャン・ディオールのニュールックに始まるオートクチュール全盛の時代を迎えた。当時のクチュール界の最新情報を美しいビジュアルで紹介する『ロフィシェル』の記事に、女性たちは胸躍らせたという。

1980年代に入るとフランス生まれの『マリ・クレール』や『エル』は、日本を始めアメリカ、ヨーロッパの国々でライセンスビジネスを開始した。1996年『ロフィシェル』もロシアとライセンス契約を結び、その後トルコや中国などで発刊された。そして2005年、満を持して日本でも創刊されることになった。

アーティスティックな雑誌を手がけるアム アソシエイツ(代表取締役・高野育郎)が、フランスのジャルゥ社とライセンス契約を結んだというニュースは、モード誌関係者を浮足立たせた。

2005年4月1日高野育郎編集長のもと『ロフィシェル・ジャポン』は創刊。オーナーでもある高野氏が編集長を兼務するかたちだ。

『ロフィシェル』を選んだ理由を尋ねると「フランスではヴォーグと肩を並べる媒体で、素晴らしいアーカイブがあることが最大の魅力だったね」と高野氏は言う。ただライセンスマガジンの常で、表紙と中ページの半分はフランス版使用が義務ずけられていたが、ルールに則りながら日本のセンスをちりばめ完成した創刊号を、フランスサイドも賞賛してくれた。むしろ本国版より優れていたと高野氏。1年目は隔月刊、2年目の6月号から月刊化された。

「モード誌は広告で成り立っている部分がある。当初フランス側がサポートするという話だったが、ふたを開けるとむしろ日本独自の頑張りが大きかったよ」。日本取り扱いのラグジュアリー・ブランドは本国サイドが、いかに日本のモード誌を評価するかにかかっている。その点、ライセンスマガジンは本国サイドに認知されているから有利だ。発行部数では、モード誌をはるかに上回るドメスティックマガジン(ドメ誌)でも、海のものとも山のものともわからないドメ誌に出稿するには、それなりの説得力が必要になる。ただ、審美眼とビジネスセンスを持ち合わせるラグジュアリーブランドは、次第にドメ誌の良さを認めるようになるのだが、スタート時のハードルはかなり高い。そういう意味では、『ロフィシェル・ジャポン』も順調に滑り出したといえる。

ところが、2007年アメリカの住宅ローンの焦げ付きが問題となったサブプライムローン危機に続き2008年のリーマンショックは、広告主体のマスコミ界を冷え込ませた。中でも直撃されたのがモード誌だった。「月刊のモード誌を出版するって、毎月フェラーリを1台ずつ捨ててるようなものなんだよ」。こうした怒涛の2007年を乗り切るには、後発のモード誌の体力では及ばなかったのだ。

1回目の契約更改のテーブルには高野氏の姿はなかった。2008年2月号をもって、『ロフィシェル・ジャポン』は休刊となった。

5/11--集英社と朝日新聞社による新マガジン『Tジャパン』に続く
《Yuri Yokoi》
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