【モードな言葉】#02鷲田清一

2013.09.02

”モードから下りる「最後のモード」が「最新モード」であるという逆説。それは、モード・デザインがモードとしての自己意識によってみずからを構成するような位相(モードのモード、あるいはメタモード)に入りはじめたということでもあるだろう。”
by 鷲田清一(『最後のモード』エピローグから)

ファッションの流れの中で、アーカイブしておきたい言葉をファッションヘッドライン編集部がポストしていく連載「モードな言葉(WORDS OF MODE)」。第2回目は、鷲田清一のモード論2冊目の『最後のモード』のエピローグからの一節。著をこの題名にした背景を解説しており、1993年10月の記述。

バブル崩壊後の不況の中で出版された同著は、その後、ファッションを哲学として論じる多くの文脈の中で引用された。ちなみにこの文章が書かれた3ヶ月後に、さらにこのエピローグの解説ともいうべき一文が朝日新聞に掲載されているので紹介しておく。

“たとえば「商品の差別化」などというグロテスクな言葉を生み出した高度消費社会そのものが、「微妙な差違」の氾濫(はんらん)が皮にも差違の消失につながるということに同時に気づいていた。
(中略)
 差異化の論理がもっとも残酷に貫かれるファッションの分野では、シーズンごとのスタイルを変換していくモードの「季節風」に抵抗し、エレガンスやゴージャスという価値とともにモーディッシュ(最新流行)という価値そのものを否定するようなアンチ・モードが、ほかならぬモードの最先端に位置するという、逆説的な現象が発生していた。こうした現象のなかで、デザイナーたちはモードという制度から下りるような衣服の可能性というものを思い描きはじめたのであった。”
(1994年1月13日付け朝日新聞夕刊「不況の社会学7」からの引用)
編集部
  • 鷲田清一著『最後のモード』(人文書院)
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