デニス・モリス―「ロックの軌跡」を切り取ってきた、時代の証人vol.2/3【INTERVIEW】

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デニス・モリス
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  • バーニーズニューヨーク新宿店で催されたエキシビション
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40年の長きにわたり、音楽界の最先端で活躍してきたアーティストたちを記録し続けてきた写真家、デニス・モリス(Dennis Morris)。7月28日までバーニーズニューヨーク新宿店で催されているエキシビションのため来京した。

デニスが、この道に入るきっかけとなった最大の恩人である故ボブ・マーリー(Bob Marley)や、「時代の寵児」セックス・ピストルズ(Sex Pistols)などの思い出を語る。

(Vol.1より続く)

「黒人への差別」と言えば、我々日本人は米国における公民権運動をすぐに連想する。しかし人種問題は、英国にも厳然と存在した。アフリカ系・カリブ系英国人たちの歴史は、第二次世界大戦後に世界各地の英国植民地から流入してきた移民たちに端を発する。

「だから私には少年の頃、相談相手は誰もいなかった。いつも一人で考え、行動してきました。そんなときにボブ・マーリーに出会った。彼はいつも私に言ってくれました。『おまえなら必ずできる。自分を強く信じるんだ』とね。実際、彼ほど強く己を信じていた人間には後にも先にも会ったことがない。想像を絶するような強靭な信念を持っていましたよ」

マーリー初の英国ツアーは、決して端から大きな関心を集めたわけではなかった。「カリブ系英国人の間ではすでにマーリーは人気がありましたが、白人たちは誰も彼を知らなかった。ある時など、2,000人収容の会場に集まったのは僅か200人程。それでもマーリーは満員の聴衆に見守られているがごとく、凄まじいパワーで演奏をした。彼は信じていたのです。200人が『絶対にボブ・マーリーを見逃すな』と周囲に口伝てをすれば、次には聴衆が400人になり、そしてその次は800人に……と増えていく。実際、後にそうなるのですが」

マーリーの演奏に対する極めて真摯な姿勢も、モリスは忘れられない。あるコンサートでのこと、マーリーが歌の合間に舞台で動き回り始めた。するとバンドのメンバーたちは曲の山場を迎えたと思い、一気に演奏のテンポを上げた。彼は舞台の後で、メンバーたちに烈火のごとく怒ったという。「俺が何をしても、絶対に演奏のテンポを変えるな! 俺は舞台で、魂の閃く瞬間を待っているんだ。演奏のテンションが急に変われば、その特別な瞬間を逃してしまう」。彼にとって人前で演奏することは、常に「己の魂の発露」だったのだ。

マーリーは同年、2枚目のアルバム「バーニン(Burnin')」を発表し、翌1974年にはエリック・クラプトン(Eric Clapton)が彼の代表曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ(I Shot The Sherif)」をカバー。この大ヒットが、マーリーの世界的名声を決定的なものにする。モリスが最初のツアーで撮った写真は、やがて英国の主要音楽誌を飾った。彼は僅か10代半ばで、プロの音楽写真家としての肩書を手に入れたのである。

そんなモリスの写真に魅せられたのが、やがてセックス・ピストルズのヴォーカリストとして世界に衝撃を巻き起こすジョニー・ロットン(Johnny Rotten)だった。1976年に結成されたピストルズは幾つかのレコード会社から契約を破棄された後、翌77年にヴァージン・レコードと契約。ロットンはモリスに、オフィシャル・カメラマンとして彼らの活動をカバーするよう依頼する。

「今から思えば、あの頃の英国社会は変革期の真っ只中にあった。労働党政権が崩壊を始め、北アイルランド紛争は緊迫度を増し、失業者が街に溢れ、極右団体が勢いを強め……といった風で、街の空気はとてもすさんだものでした。そんなときに、セックス・ピストルズが現れたのです」

(Vol.3に続く)
《水野龍哉》
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