デニス・モリス―「ロックの軌跡」を切り取ってきた、時代の証人vol.1/3【INTERVIEW】

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デニス・モリス
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40年の長きにわたり、音楽界の最先端で活躍してきたアーティストたちを記録し続けてきた写真家、デニス・モリス。7月28日までバーニーズニューヨーク新宿店で催されているエキシビションのため来京した。

デニスが、この道に入るきっかけとなった最大の恩人である故ボブ・マーリーや、「時代の寵児」セックス・ピストルズなどの思い出を語る。

「私は少年時代、特に音楽界での仕事を志したわけではなかった。ボブ・マーリーと出会うまではね。彼が、私を目覚めさせてくれたのです。音楽を通して時代をドキュメントすることに、人生を賭す価値があるということを」

1973年、ロンドン。市内中心部ウエストエンドにあるクラブ「スピークイージー」の入口で、14歳のモリス少年はカメラを抱え、主役の登場を待ち詫びていた。この年、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズはアイランド・レコードと契約、メジャーデビューのアルバムとなる「キャッチ・ア・ファイアー」を発表。それまでロック一辺倒だった同レコードが「次の反逆の音楽」としてジャマイカ発のレゲエに注力することを決め、マーリーの初の英国ツアーの幕がロンドンで切って落とされたのである。数年後には「レゲエの神」として音楽界に君臨するマーリーの、世界への第一歩であった。

やがてクラブに現れたボブ・マーリーに、モリスは間髪を入れず「あなたの写真を撮ってもよいですか」と尋ねた。マーリーは拍子抜けするほどあっさりこう言った。「勿論だ! さあ、一緒に中においで」。モリスは彼のリハーサルやステージの模様を夢中になってカメラに収めた。その写真を見たマーリーは即座に、引き続きツアーに同行しないかと彼を誘ったのだった。

「ツアーのオフィシャル・カメラマン、というわけではなかった。私はむしろ彼らの『マスコット』のようなものだったのでしょう(笑)。マーリーは、写真に対する私の一途な情熱を感じ、私が他の人々とは違うものを追い求めていることを理解してくれたのです。恐らく、少年の頃の自分の姿を私の中に見出したのでしょう。

多くの人が知らない事実ですが、マーリーの父親は白人です。実は白人と黒人のハーフであった彼は、ディープな黒人社会であったキングストン(ジャマイカの首都)では歓迎されない存在だった。逆に言えば、彼は黒人の気持ちも白人の気持ちも理解出来たのです。彼の歌をよく聞くとわかるのですが、決して黒人を擁護したり代弁したりする歌ではない。と同時に、白人のための歌でもない。彼は常に「ピープル」、つまり人種を超越したすべての「人」という表現で呼び掛けている。彼も少年時代に両方の人種間で悩み、他の人々とは異なる人生へのアプローチを見つけようとした。そこに私との共通項を見たのだと思います」

モリスはロンドン北東部、労働者や移民が多く居住するハックニーで生まれ育った。幼少の頃から聖歌隊員として教会通いをしていた彼は、あるとき教会内に作られた写真部に加わった。「フィルムを現像して一枚の写真を焼き上げる作業が、子供の自分にはまるで魔法のようでした」。

10歳にも満たぬ頃からカメラ片手に街中をさまよい、スナップ写真を撮り続けていた彼にとって、写真家を志すのはごく自然なことに思われた。が、それは同時に見果てぬ夢でもあった。将来のことを両親に話すと、決まって彼らは「そんな馬鹿なことを言うもんじゃない」と一蹴した。それは、彼が黒人だったからである。

(Vol.2に続く)

from 編集部
1999年に出版されたデニス・モリスの写真集「デストロイ―セックス・ピストルズ1977 」の日本版をプロデュースした水野龍哉氏は、デニスが写真を撮ってきた時代を共に歩んだ同い年。今回、ファッションヘッドラインはこの二人の十数年ぶりの再開を企てた。ファッションヘッドライン編集長・野田も同い年のため、1970年代の文化には皆、一家言ある輩。3回にわたり、独占インタビューでお届けする。
《水野龍哉》
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