【編集長ブログ】デビッド・ボウイとパンク、EP-4とくるりの5.21

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EP-4のステッカー。1983年に行われた全国3都市同日ライブのこのステッカーが各都市のあちこちで貼られ、話題になった
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今回はデビッド・ボウイ特別編。復活コラボのオフィシャルネタばかりなので、閑話休題。ブログなので自分の記憶だけで書く。30年以上前のおぼろげな思い出を探り探り。

1980年頃、デビッド・ボウイは京都に住んでいた。九条山という今のウエスティン都ホテルの東の山に滞在していると噂だった。たまに祇園や河原町に現れ、「どこどこの、誰それの店に来たらしい」と話題になった。京都ではそういう話は日常的に存在する。「ジョン・レノンが昨日家に来た」と騒いだクラスメートはうそつき呼ばわりされて、翌日、本物のサインが記された家業のうどん屋の箸袋を学校に持ってきて、一躍スターになった。

デビッド・ボウイは九条山に住んでいた具体美術の現代芸術作家のヨシダミノルさんと交流があり、彼とライブハウスにたまに現れるということだった。ミノルさんは京都のロックバンド村八分と仲が良いことでも知られていた。そのボウイが磔磔というライブハウスに来た日に出演していたのが「ノーコメンツ」というバンドで、大学生だった私はそのバンドでベースを弾いていた。当時としては珍しくステージには立たないスタイリストもメンバーとして存在していた。確かメジャーデビューの前(だとすると79年なんだけど)、ツートン系のSKAやジェームス・チャンスの曲を、パンクヘアとB52sのようなファッションで演奏するそのバンドをボウイは気に入ったのか、それ以降も二度ほど見に来たらしい。レコード会社はそれをしきりに宣伝文句に使った。

らしい、と書いたのはボウイ本人と挨拶したわけでもなく、実際はよく似た外人が客席にいただけだったのかもしれないからだ。いまだに、半信半疑。ただ、自分が今もファッションやメディアに携わっているのは、このボウイ事件が大きく影響している。ポール・スミスやアレキサンダー・マックイーンに初めてインタビューした時も、この話で場の空気が和んだ。

その80年頃、ボウイが良く遊びに来ていた京都の“ハコ”の一つにクラブ・モダーンがあった。そのオーナーだった佐藤薫氏も、自身のバンドEP-4で去年と今年の5月21日(5.21)に復活ライブを行い、コアなファンの間で話題になった。ボウイの復活の話題に奇縁を感じるのも、1980年というおぼろげな肌感からだ。

同じ京都出身のバンド「くるり」の新メンバーとして昨年参加し、素晴らしいアルバム『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』を発表しながら、1年に満たない5月21日(5.21だ)に自身の脱退をツイッター上で宣言した吉田省念は、前出のヨシダミノル氏の息子さんだ。その彼が1980年生まれ、ということをその話題で知り、パンクファッション再燃、ボウイ復活という記事を眺めながら、自分自身の積日の無為に驚く。
《野田達哉》
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