【INTERVIEW】「最初にビッグオーダーをくれたのはロスのマックス・フィールド」----マスターマインド・ジャパン本間正章vol.1/4

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本間正章氏
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今年8月、一時代をつくったドメスティックブランドがその活動に幕を下ろす。そのブランドとはデザイナー本間正章氏率いるマスターマインド・ジャパン(mastermind JAPAN)だ。ストリートとラグジュアリーをミックスしたそのテイストに、世界中のファッショニスタ達が魅了され、新作の発売日には取り扱い店舗にいつも行列ができる。

人気絶頂の最中である5年前に突如ブランドの終了を宣言。今回のインタビューでは、本間氏にブランドの黎明から終了へと至る変遷、服に掛けてきた熱い想いを聞き、4回にわたりレポートする。

――初めに、ブランドを立ち上げた時期ときっかけを教えてください。

元々ヨウジヤマモトで6年半販売に携わり、その後新人のデザイナーズを中心にしたセレクトショップのマネージャーを務めた。皆いい服を作っていたけど、ヨウジ時代と同じような売り上げ実績は上げられなくて。そうなると、売れないことをデザイナーの責任にしている自分もいて、自己嫌悪に陥っていた。だったら同じ立場に自分を置いて、やれることを少しでもやってみようと思ったのがブランドを始めたきっかけ。

そして1997年、マスターマインド・ジャパンを立ち上げた。無謀にもいきなり東コレに参加してみたり、直営店をつくってみたり。気が付いたら借金だらけ(笑)。自分1人でやっていたので、営業の仕方もわからず、負のスパイラルに陥って行く。そこで、ブランドを始めて3年ほど経った時に、辞めるきっかけが欲しくてパリの展示会に出展を決めた。周りの工場さんとか生地屋さん、お世話になった方々に「ここまでやってみたけどダメだった」と言いたかった。

最後のチャンスだと思って、2001年にパリの「SEHM」という合同展に参加。東京で展示会をしても、友達しか来てくれないのに、パリでは純粋なファッション関係者がブースに入ってきて、服を見てくれる。それが僕にはとても嬉しくて。こんなに大勢の人に見てもらえるのは正直初めてかも、と。とはいえ、オーダーはほとんど入らず、ほぼ0に近いくらい。2シーズン目も同じような結果だった。でも、やっぱり見てもらえるという喜びが、辞める決断を鈍らせた。「あと一回だけ、次が本当に最後だから」と。でも、売り上げも伴わないし、人に見てもらえるという理由だけでブランドを継続するのも厳しくなり、パリ進出後3シーズン目に、行きつくところまで行こうと思った。

これが最後だと決意し、どうせなら素材を全部カシミアやシルク100%に変えてしまえ、と。「レザーのTシャツも作っちゃおうか」なんて(笑)。何を作っても高いと言われるのであれば、比べる対象をなくせばいいんだ、という発想。クオリティーに関して、何を聞かれても自信を持って受け答えできる商品ラインアップに、ガラリと変えた。バイヤーは、服の見栄えも数段よくなっているし、触ればカシミアだし、「まあ気持ちいい!」みたいな(笑)。ただ、オーダーシートを渡すと、その価格に驚いて、「君たちはクレイジーだ、こんなの誰もオーダーしないよ!」と言われる(笑)。でも、やり遂げた満足感はあった。「自分に今できる最大限のことをやっていいモノを作ったけれど、マーケットに受け入れられないというのも才能だ」と。

僕の短いブランド人生が終わったなと感慨にふけっていたら、パリでの最初のシーズンからずっと見続けてくれていたバイヤーが、3日目の夜に来てくれて、「すごくいいね!明日またオーナーを連れて戻ってくるから」と。半信半疑で待っていたら、翌日の最終日、本当にオーナーと一緒に戻ってきた。サンプルを全部見た後、オーダーシートを渡したら、驚く様子もなく、真剣な表情で2人して小声で話し始めた。そして「これ、オーダーするから」。生まれて初めて、数百万単位のビッグオーダーが入った。それが、ロサンゼルスのマックス・フィールドというお店だった。それでもまだ疑心暗鬼だったけど、帰国後、ファックスで実際にオーダーが届いた。50%の前金をもらえればコンファームすると言うと、本当に入金してくれた。そこで初めて、「この人たちは本気だ」と。出荷の準備が出来、残りの50%を払ってくれれば出荷すると伝えると、それも入金してくれた。そうすると、今度は違う不安が出てくる(笑)。こんな高いものが異国で本当に売れるのかな、と。そこで、商品を送って一週間ぐらいたった時に、商品が届いたか、少しは売れたかととさりげなく聞いてみたた。すると、「すごく売れていて、もう商品がほとんどないから、今ある在庫のリストを全部ちょうだい!」と(笑)。すぐに追加オーダーが入った。

その時初めて、遠くの方に、微かではあったけど、自分がやるべきブランドの方向性みたいなものが見えた。純粋にいいものを作れば、自分たちの服を本当に理解してくれて、高額であってもちゃんと売ってくれるお店が、例え1%であってもこの世に存在する。そう思うと、そのお店のためだけにでも、この方法論で続けていかなければ、と。クオリティーを更に上げ、自分ももっと勉強して、そのお店がマスターマインドを扱い始めたことを後悔させないようにするしかない。そこから、今のような高額なラインというか、メイド・イン・ジャパンで高品質の商品を突き詰めるようになった。日本製ということには、ブランド設立当初からこだわっていたけど。

――当初からメイド・イン・ジャパンの物作りにこだわり、関わった川上・川中の方々をブランドタグに載せてらっしゃいますよね。その理由をお聞かせください。

今でこそ“何々ジャパン”という呼称も普通になったけれど、当時は“ジャパン”が名前についている会社は本当に少なかった。僕はどう見ても日本人だし、これで“マスターマインド・パリ”なんて言ったら、「なに格好つけてんの?」という話になる(笑)。そして僕が好きなように描いたデザイン画は、たくさんの人たちの手を経て、ようやく完成する。少ない枚数でも縫ってくれたり、あり得ないメーター数でも生地を作ってくれたりという形で協力していただいている以上、多少なりとも恩返しをしたいな、と。彼らと一緒に歴史に名を刻みたいという思いから、すべての商品タグには、生地屋さん、パタンナーさん、加工屋さん、縫製工場さん、みなさんの名前を入れ、素材や技術に興味を持った企業が、ネットで検索したらたどり着けるようにと、情報を公開することにした。実際、それでパリの某クチュールメゾンから連絡がきた工場さんや生地屋さんもあったし、名前が公開されることでみんな責任感を持ってくれる。これはファーストコレクションから続けていること。
*vol.2へ続く
《三浦達矢》
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